ふかふか団地ブログ

文芸サークル『ふかふか団地』についてのお知らせや、メンバーの日記を公開していきます。

2018年11月25日(日)第二十七回文学フリマ東京に参加予定。
ふかふか団地の既刊小説誌を売っています

フリクリ オルタナの解釈が間違っていたっぽい話

フリクリ オルタナ』を観ました。

フリクリは好きな作品なんですけど熱狂的なファンでないので楽しく観ました。主にオチの話をしたいと思います。めんどくさいので細かいところは省略します。

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カナブンのスマホは画面がバキバキです。これはカナブンを取り巻く関係性に当初からヒビが入っていることを表すと同時に、ヒビが入っていてもそれを使い続ける、すなわち現状を維持したいというスタンスを暗示しています。カナブン自身も「ずっとこのままが続けば」ということは劇中しばしば言及しています。

そして、ヒビが入っている彼女たちは、ハル子が訪れたことで(あるいはMMが動こうとしたことで)順繰りにそのヒビを確認することになります。ヒジリーは恋愛、モッさんは夢というところで立ち位置が変わる。けれどカナブンとの距離は離れない。

ペッツは、カナブンとの距離・関係性そのものがヒビに当たるものでした。小学生の頃、ペッツのことを話しかけてくれた最初の友達だと思っていたカナブン。しかし、カナブンはペッツのプライベートを何も知りませんでした。ペッツが政府高官の娘であること、自室が殺風景なこと(そしてそれは親の抑圧であること)、唯一といっていい飾りものがカナブンとペッツが映っている写真であること。そして、ペッツはカナブンの立ち居振る舞いを内心疎ましく思っていたことを吐露します。

ペッツがカナブンのことを見下していたのは明らかです。カナブンの回想で、ペッツとの出会い(人間関係的な意味で)はペッツがカナブンを見下ろして、ペッツから話かけており、そしてカナブンは一人ぼっちだったからです。ペッツも一人ぼっち、自分と同じ奴がいる。

「なんで声かけちゃったんだろ」ペッツの独白からは、カナブンへの愛憎半ばする感情がうかがえます。根本的に合わない奴と腐れ縁になってしまった感覚です。

 

戦闘中、敵に取り込まれたペッツを助けようとして上記のやり取りがあり、その後カナブンは振り落とされてしまいます。その時、2人は互いに手を伸ばし、しかし触れることなくカナブンは落ちていく。気を失ったカナブンは夢を見ます。ヒジリーとモッさんと、そしてペッツが自分を心配する、そんなお決まりのパターンの夢。夢を見ながら涙を浮かべるカナブンを見下ろすペッツ。彼女は自分とカナブンの髪留めを黙って交換し、物語から退場します。ハル子の言葉にも答えない。カナブンがさよならを言う機会もない。

 

ロケットが火星に旅立った後、いよいよ地球をまったいらにするプラントが起動します。起死回生の一手は、カナブンのN.O.(超空間チャンネル)を使った、地球の表面丸ごとの火星へのお引越し。N.O.は感情の強さと直結している(インチキめいた)力で、ハル子はカナブンに思いの丈を叫ぶよう言います。そこで、カナブンのヒビは現状を維持したいという心の弱さであることが提示され、その上でカナブンはヒビをまるごと肯定してやはりこのままでいたいと勝手なことを言う。そして、ワープホールに彼女たちは引きずり込まれる。

物語のラスト、赤い空の下、オープニングと同じくカナブンの通学風景が描かれます。彼女のスマホはやはりバキバキで、しかしペッツだけがそこにいない。(ハル子は除く)

 

前置きが長くなりました。この赤い空の先には、まったいらになった(とてつもなく大きな)地球が見えます。これを見て、私はカナブンたちは火星ではなく、違う次元にぶっ飛んで、そこに寄せ集めで再現した地球を作り上げて、変わらない生活を送っていると解釈しました。

というのも、入国管理官の神田が、カナブンのN.O.が予想以上に強く、事象の地平線に飲まれることを危惧したからです。事象の地平線の彼方に行ったカナブンたちとペッツは、もはや距離や時間といった概念を超えて、決して互いに観測することができないという結果に行きついてしまった。それはある意味であの世であるし、しかし一方で「よその国」に行った友人の話でもある。「ヒビの入った世界」を肯定したカナブンと、それに乗り切れなかった(残ろうと本当に思えば彼女は残れた)ペッツの、取り返しのつかない決定的な断絶、「大好きだよ」という言葉が虚空に響くだけに終わった。それがカナブンにとっての青春の終わりだった。

そういう無常なエンディングだと思ったんですが、どうやら本筋だとカナブンたちは(ペッツと同じく)火星に飛んだらしく、しかもフリクリの前日譚ではないか(要するにフリクリの世界はカナブンが火星に引っ越しさせた後の話)という見方が有力。それはそれで、いつかカナブンとペッツが和解する余地が残されるので悪くはないのですが、私は徹底的に「仲のいい2人の訣別」が好きなんだなあと再確認することになりました。オチなし。

 

追記:肝心なこと言うの忘れてたんですけど、「フリクリ オルタナ」というタイトルは「フリクリ」と違うやり方のロックンロールとしての「オルタナ」であると同時に、「代わりになるもの」という意味での地球の代替物を作るというオチ、そして「二者択一」という意味でそれぞれ自分が選んだ選択肢の代償に友人を失うという筋にかかっていると思ったんですよ、マジで…

椅子にすわって椅子をみる

おすすめです

ブラジルの先住民の椅子

 

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こちらです

9月17日までです

 

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庭園美術館です

アールデコ建築みたいです


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椅子とはなにか
我々はどこから来てどこへ向かうのか


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癒しの空間です

お一人でも誰かとご一緒でも

 

 

 

僕の中の二宮飛鳥というアイドルについて 思い出appeal編

どうも、コアラこと九十九葵です。

猛暑の中、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

さて、いつぞやに二宮飛鳥について投稿するとか言ってましたが……。

書きます。

某ブログから一年ちょっと経っていい頃ですしね。

僕のこれまでの二宮飛鳥との思い出を振り返っていきたいなと思います。

え?興味ない?
まあまあ、そう言わずに。
どうせ君たち暇なんでしょ?この夏休み。

○二宮飛鳥さんについて
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この子です。

定期的に晒されてるのでもう皆さん見ているかも知れませんが、こちらを見ていただければ早いかと。
http://fukafukadanchi.hateblo.jp/entry/2017/05/06/103244
にしてもキモいなこのコアラ。

○コアラのプロデュースについて
本題に入りましょう。
あのブログを書き終え、どんな飛鳥も愛して見せようと言い放ちましたが、その愛の遍歴をここに記していきます。

注意、随所随所でネタバレがあるのでまだコミュ見てないよって人は気を付けてね。あとスマフォから殴り書きしたので読みにくいかも。(あとで色々加筆修正するのでゆるして)


・メインコミュ第43話 Cogito ergo sum

決死の宣言のほぼ直後に来ました。

去年の4月ぐらいですかね?

試してるんだねこの俺を、って思ったもん。タイミングよすぎ。

ちなみに、タイトルの意味は、デカルトの「我思う、故に我在り」です。

飛鳥らしいタイトルですね~。

皆さんご存知でしょうが、飛鳥は思慮深い人間です。

自分がどんな人物であるかは、自分がよく理解しているはずです。

だからこそ、二宮飛鳥を他の人間から見たらどう映っているかがわかったいいストーリーだったと思います。

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ここかわいいよね。

mvもカッコよかったし、言うことなしですね。

自分という存在は、誰かに観測されてこそ、証明されるのです。

例えこの世にいなくなったとしても、誰かが想い続けている限り、その存在は証明され続けるのでしょう。

そんなことを思いました。

ちなみに未だに共鳴世界の存在論は、回復とダメージカードをガン積みにしないとクリアできません。

誰か攻略方法教えて。



・アニメシンデレラガールズ劇場1期最終話(13話)

2017年6月27日くらいかな?

来ましたわ(歓喜)、ウソ来ないと思ってた正直。

コーヒーは砂糖とミルクをいれた方が美味しいよね……。

飛鳥と蘭子の中二な語らいがいじらしくてよかったです。(小並感)



・リトルリドルイベント

2017年6月30日~2017年7月9日

ラップ小僧と化したあすちゃんにめちゃくちゃ草を生やしてしまった。

そんなキャラじゃないでしょ!って

それはさておき、各々が抱く主張を「ラップ」で語るといった珍しいタイプのイベント曲でした。

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みんながどんな主張を抱いているか、それが「リトルリドル」に込められています。

中でも、飛鳥が抱く「オトナ」と「コドモ」とは何か、
その境界線を問うたものに僕はエモみをビンビンに感じました。

なのでみんなもう一回コミュを見るんだ。

そしてCDを買うのだ。(ダイマ)

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ウッ……あすちゃん……。

ここ素の二宮飛鳥(多分)が見れた気がして、僕はもうね……。

多分この頃辺りからあすちゃんって、呼び始めた気がする。



・双翼の独奏歌イベント

2017/8/21(月) ~ 8/27(日)
二宮飛鳥の真骨頂が見れた素晴らしいイベントだったと思います。(食い気味)

てか、これが一番の思い出で一番語りたいことなんですけどね。

同じ「中二病」を患う神崎蘭子とダークイルミネイトというユニットを組み、仲良しこよしかと思われていた飛鳥だが、お互いに真に理解り合えていなかってことで軋轢が生まれてしまう。その解決と和解に至るまでが今回のイベント、といった感じでした。

相手のことを分かっていたつもりでいて、その本質を掴めていなかった。理解しきっていた気でいた。共依存していただけだった、というのが今回の話の肝だと思います。

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分かってあげている思い込みというか分かってくれているという押し付けというか……。

要はエゴですね。

それによって二人の間に生まれるべくして生まれてしまったヒビ、そのヒビを埋めていくように二人がお互いのことを見つめ直す様がとてもよかったです。
(詳しくはデレステを開いてイベントコミュを見てね!)

まーでも。

ぶっちゃけ話数が足りないよね。

二人でお泊まり会とかやってホラ。

お互いにもっと、小さなことでもいいから共感し合って積み上げていくシーンがもっと欲しかったです。(欲張り)

閑話休題

「双翼」だけど「独奏歌」。

二人で1つの翼、でも奏でられるのはそれぞれの個。

紡がれるのは言葉ではなく、心。

これもうあすらん結婚式ですよ。

そういえば、こんなの飛鳥やない!みたいな声もいくつかありましたが、これこそが二宮飛鳥だと僕は思うんですけどね。

みんなも二宮飛鳥の本質を見るべきですよ。(謎)

どんな思想を持っていたって、どんなに難解な言葉を知っていたって、まだ14歳の女の子ですから。

思春期らしく友達と上手くいかなくて泣いたり、思い描いていた理想と乖離して苛ついたり、端から見ればどうでも良いようなことに喜んだり固執したり………。

それを正しく導いてやるのが、プロデューサーじゃないですかね。

現に、作中の大人たちや乗り越えてきたアイドルたちは「理解っていた」わけですし。

それにしてもこのデレステPの「甘えるな」はさすがに厳しいですね。

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僕だったら「ウッ……あすちゃん……」って言いながらションベン漏らしてると思う。

まあ、実際はこの台詞を私に言わせ(押させ)ますか……ニクいことしやがって(ニマニマ)といった感じでした。

それは私が一応大人だからこそ、思えたのかもしれません。

現に、ベテラントレーナーさんや乗り越えてきたアイドルたちは理解っていたわけですからね。

このときに認めることができなかったPたちも改めて見返してみてはいかがでしょうか。

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このチャラ男絶対に許さない。

まあ、このシーンも一言でカテゴライズされることをおそらく嫌うであろう飛鳥が、蘭子に対して「中二病」の一言で表現したシーンの対比でめっちゃ良いシーンなんですけどね。



モバマスでのガチャ

2017年9月30日にて、黄昏の詩、というカードで登場しました。

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エモ宮飛鳥(語彙喪失)

たしかこのとき、ガチャ登場アイドルの予告シルエットが諸星きらりさん(違ってたらごめんなさい)だっんですけど、「これはエクステ大爆発したあすちゃんだから」とか冗談言ってたら本当に来ました。

即刻ガチャ回して一枚当ててもう一枚はトレードで金にモノを言わせて手に入れました。
(モバマスでは同イラストのカードが2枚ないと特訓できないのだ!)

ガチャの話はこれぐらいにして。

この服装って童貞を殺す服なのでは?

とても似合っててすこーー(消える音)

そして台詞の一つ一つが秋らしくセンチメンタルで僕も切なくなりました。

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ハインリヒ・ハイネでしょ知ってる知ってる(適当)。

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特訓後は一転して、お洒落なドレスを身に纏ってキザな表情をしておりました。かっこいい。

また新たな二宮飛鳥を見れました。

ホントすごいよ二宮飛鳥さん。

皆さんも是非スカウトなりトレードなりで手にいれて見てください。


・仲間と集うやすらぎバレンタインガシャ(デレステ)

2018年1月29日、初 天 井。

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一応100連分以上のジュエルは貯めておいたのですが、まさか300回目丁度で出るとは……。

しばらく足と手が震えて動けませんでしたね。

でも来てくれて嬉しいよあすちゃん……。

できればもうちょっと早く来てほしかったよ……。

あのときにいろんなP様からリプを頂きました。

あのときはありがとうございました。

コアラは今日も元気にプロデュースしております。



・第7回シンデレラガールズ総選挙

諸事情(皆さんご存知)によりアイマスに使えるお金が全然なかったので選挙券を購入することはほとんどできませんでしたが、出来る限りの選挙券はかき集めて投票したつもりです。

それでも一ヶ月で500票程度しか投票できなかったので僕もまだまだですね。

それでも、イベントを真面目に走ったお陰で、他のアイドルのことも好きになれたのでとてもいい期間だったと思っています。

それでも、全体33位という結果で終わってしまい、悔しかったですけどね。

次は1位を目指そうな、飛鳥。




……と、ここまで語りましたが他にも思い出はたくさんあります。それこそ、ここには書ききれないほどには。
(ライブとか物販とかシン劇とかね)

中でも記憶に強く残っているものを書き出しました。

思い出アピールMAXいけますよこれは。

長々とお話ししてしまい、そしてお目汚しして、失礼しました。

皆さんも良きプロデュースができるよう祈っております。

それではまたどこかで。

僕の中の園田智代子というアイドルについて

そして僕は何度でも繰り返す。彼女が『アイドル』であることを証明するために

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時間遡行を繰り返す園田智代子

外付けチョコアイドル

 

「アイドルとは何か」ということを、僕はいつも考えている。

 

でもそれは、僕以上に彼女自身が一番考えていることのようにも思えた。

 

友達と一緒にオーディションに参加して、見事にアイドルの座を射止めた園田智代子は、アイドルに憧れこそ持っていたものの、まさか自分がアイドルになれるとは思っておれず、今でも自分の魅力には自信を持てていない。

 

普通で、個性がなく、アイドルとしてこれで大丈夫なのだろうかと不安を感じた智代子は、友達に呼ばれている「チョコ」というあだ名だけをアテにして『チョコアイドル』を自分のアイデンティティとして活動することに決めた。

 

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友達に呼ばれているあだ名からアイドルの方向性を決める園田智代子

 

チョコだけでなく、ごはんを食べるのが大好き。*1両親や友人たちにも愛されて、きっとたくさん『かわいい』と言われて育ってきたのではないかと思う。

 

周りのことを誰よりもよく見ている智代子*2は、他人の魅力にはよく気付く。だからこそ、自分と比較してしまう。

 

所属するユニット・放課後クライマックスガールズの強烈なメンバーの中で、自分は『普通の女子高生』でしかなく、特出した個性が無いと悩んでしまう。

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自身の個性が『外付け』であることを認める園田智代子

 

きっと、智代子が思い描く『アイドル』というのは、生まれながらにそういう星の下に生まれ、生活や環境の中で育まれてきた、自然でありのままな『輝き』の中にあるのだと思う。

 

私自身、アイドルマスターシャイニーカラーズを始めたのは、同じ放課後クライマックスガールズに所属するアイドル・西城樹里ちゃんの姿に惹かれたことがきっかけで、それは内面よりも、外見から得られる情報でそう思わされたものだ。

 

だけど、いろんなアイドルをプロデュースしていく内に、気づいたら智代子のことばかりを考えるようになっていた。*3

 

それは、智代子が何もない普通の女子高生であることを自覚しながら、それでもアイドルで在りたいと強く想い続ける姿や、名前と似ているだけで手にとった『チョコ』という個性を、アイドル・園田智代子を構成する一番強力な武器として昇華させていった、触れてみなければ分からなかった姿にこそ、惹かれていったのだと思う。

 

 

アイドル・園田智代子

 

そんな智代子も、アイドルとしての最高峰・W.I.N.G優勝を目指す最中で『チョコアイドル』を諦めようとする瞬間もある。

 

それはあくまで、アイドルとして、誰かに選んでもらうための『チョコ』だから。結果が出なくなると「これでいいのか」と悩んでしまうのは必然だった。

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オーディションに落ちたことで新しい個性を模索する園田智代子

 

当然、そんな付け焼刃な路線変更が上手く行くはずもない。

 

しかし、そこでファンと向き合ったことで智代子は気づいていく。

 

あの日、手にとった『チョコアイドル』が、いつの間にか自分自身の中だけでなく、誰かにとっても大切な一部分になっていたことを。

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『チョコアイドル』が『ありのままの自分』になっていたことに気付く園田智代子

 

無理をしないで、そのままの自分でいられるチョコアイドル。

 

その姿に、かつて自分が夢見た『アイドル』と同じような羨望や憧れを向けられているのだと認められた智代子は、チョコアイドルとしてだけではなく『アイドル・園田智代子』を肯定できるようになっていく。

 

W.I.N.G準決勝では、緊張を落ち着かせるためにチョコを食べていた智代子も、決勝では、チョコを食べることなく、園田智代子として、胸を張ってステージへと向かっていった。

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チョコ以外の仕事が多くなり、寂しさを覚える園田智代子

 

「アイドルとは何か」ということを、僕はいつも考えている。

 

「アイドルは物語である」と誰かが言った。

 

特別に焦がれてアイドルの世界に足を踏み入れた、自分に自信を持てない普通の女の子。

 

最初に見つけた自分のキャラクターを信じ続け、そこで特別になるための努力を重ねて、そのキャラクターは、いつしか誰しもが認める『自分自身』になっていく。

 

その美しく鮮やかに変わりゆく姿が『アイドル』でなくて何だというのだろうか。

 

自分に自信が無い彼女が、それを自覚することは無いのかも知れないけれど、だとすれば、彼女の自身が『アイドル』であることを証明するために、僕はチョコっとずつでもプロデュース活動を続けていきたい。チョコだけに。

 

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最高にかわいい園田智代子

*1:ちょこ先輩はー、ご飯をいっぱいたべまーす!

*2:サポートSSRしかないことも、これに関連しているように思う。

*3:時には智代子のために3万円課金したりもした。智代子は引けなかった。

近くて遠い、『リズと青い鳥』と山田尚子の距離 // 抱きしめることをやめた「愛」の物語について

「ああ、神様。どうしてわたしに」「籠の開け方を教えたのですか」

 

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この藤棚も鳥籠であり、傘木希美もまた自覚なき鳥であることを示唆する

リズと青い鳥』という名称が指すものは多く、映画『リズと青い鳥』であり、絵本・戯曲「リズと青い鳥」であり、吹奏楽曲「リズと青い鳥」であり、劇中劇「リズと青い鳥」である。さらにこれは、武田綾乃響け!ユーフォニアム 波乱の第二楽章」において記されたものとも差異がある。*1

映画内においてすべての大元となっている絵本・戯曲「リズと青い鳥」は、素直に受け止めれば悲劇である。それは昔に読んだという傘木希美の「好きだよ。最後ちょっと悲しいけどね」という感想や、劇中劇として挿入される「リズと青い鳥」の最後の場面が前述の台詞で締めくくられることが大きな要因となっている。

映画『リズと青い鳥』にはさまざまな感想が寄せられているが、その中でも目立つのが「残酷」だというものだ。*2それは傘木希美にとってだったり、鎧塚みぞれにだったりする。互いの思いが重ならず(あるいは一瞬の重なり合いでしかない)、また互いが願ったものが手元に決してやってこないことは、確かにむごいことかもしれない。

果たして、それをもってあの作品を悲劇と捉えるべきなのだろうか。

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傘木希美のくちびる

リズと青い鳥」、そして『リズと青い鳥』は結末が徹底的に覆い隠されている。青い鳥の大群のシーンは印象的だが、リズが語るべき言葉は前述の通り傘木希美が受け継ぐ。それは傘木がリズであることを認めるという一方で、「リズと青い鳥」の結末部分であるかどうかの判断を困難にしている。「最後ちょっと悲しいけどね」。その言葉が指していた場面はここなのか。リズはその後どうなったのか。青い鳥はどこへ飛びったのか。それは描かれたのか、描かれなかったのか。観客には分からない。

楽曲「リズと青い鳥」も、大空を舞うような鎧塚の第三楽章の後、傘木がどこまで鎧塚に肉薄し、コンクールでどのような演奏に至ったのかは、映画の時間軸では描かれない。そしてさらに、リズと青い鳥をしめくくる「第四楽章」は、サウンドトラック内には存在しながらも、映画を観ただけではこの楽曲全体がどのように締めくくられるのかを見通すことができない。

パンフレットで山田尚子監督が触れている通り、この映画は「途中から途中を切り出した」作品だ。そして、観客が受け取ったものがすべてだとも語る。山田流エンディング曲は隙を生じぬ二段構えだが、今回は閉鎖的な印象の「girls,dance,staircase」と、夏のきらめきを感じさせる「Songbirds」。映画『けいおん!!』と『たまこラブストーリー』ではED曲2曲にある程度の一貫性があった。ここまで対照的なのは今回が初めてだ。

解釈が分かれるという点については、傘木と鎧塚が「リズと青い鳥」の物語を絵本と戯曲、それぞれ違うメディアで読んだことも見過ごせない。「響け!ユーフォニアム 波乱の第二楽章」と映画『リズと青い鳥』が異なる作品である以上、絵本と戯曲もまた、完全に同一の物語ではないかもしれないのだ。傘木希美が読んだ絵本は、戯曲に本来あった要素がスポイルされ、あるいは抽象化されているかもしれない(もちろんその逆の可能性もある)。

ここまで徹底的に、解釈の余地が残されているのは、山田尚子の意図によるものだと思いたい。そしてそうであるならば、観客は『リズと青い鳥』を悲劇と見てもよいし、喜劇と見てもよい一方で、悲劇と断ずることも、喜劇と断ずることもできないのだ。「見たものがすべてです」。それは本作品の答え合わせを拒む態度でもある。

結末の存在しない映画。山田の目論見はどこにあるのか。その理由を、この映画が薄い膜ごしに傘木希美と鎧塚みぞれを覗き見るという演出手法そのものに見出したい。

劇中で傘木と鎧塚の語る言葉はダイアローグとモノローグの境界が曖昧で、かつそれらの言葉で彼女たちの内心を見通すことは困難だ。映像で得られる情報で類推していくしかない。それは本来的な映画の姿であるとも言える。

物事を推し量るという態度をとらざるをえないのは傘木と鎧塚も同様だ。彼女たちはお互いの目に映る、肌で感じる感覚を頼りに、人格に誠実に向き合っていくしかない。劇的に分かりあうことはない。生物講義室での重なり合いが、「希美が、わたしの全部なの」//「ありがとう。ありがとう、みぞれ。ありがとう」の切実な言葉が、強烈な断絶の色彩を帯びているのがその最たるものだろう。

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近くて遠い、我々と傘木希美、鎧塚みぞれの距離

そしてそれは彼女たちが、キャラクターとしてではなく、人格を持った一個人であると山田尚子が描いたからにほかならない。

傘木希美と鎧塚みぞれは、それぞれリズと青い鳥、そのいずれかと対応しているかのように映画では見せかけられている。しかし、傘木と鎧塚がキャラクターでないのなら、どちらかがリズでどちらかが青い鳥、という単純な図式になるわけがない。記号的なつながりではなく、あくまで彼女たちがそのように考えた、ということが重要なのだ。

山田尚子は思いの受け渡しということを丁寧に描く作家だ。映画「けいおん!!」は、中野梓が「天使」にたとえられた意味を、どういった思いを歌にこめたのかを描いた。「たまこまーけっと」では、お餅はお気持ちであり、それらは人から人へ笑顔とともに受け渡される。「たまこラブストーリー」では、糸電話があまりにも象徴的だ。

一方で、「リズと青い鳥」は、希美とみぞれを繋ぐ「縁」とならなかった。それぞれの解釈に基づく「リズと青い鳥」が、演奏という形で示されたにすぎない。オーボエの演奏に思いを乗せること、それを掛け合いを行うフルート奏者が聴くこと。それは言葉よりも強烈に感情を表現する・揺さぶることはできても、正確に伝えること、さらにいえばそれで「理解」することはほとんど不可能に近い。一通りの解釈しかできない音楽は存在しえないのだ。

映像的にも、希美やみぞれの主観カットは少なく、世界のどこかから彼女たちを切り取るようなカメラワークとなっている。舞台が学校の中でほとんど完結していることと相まって、生活感や生々しさは(お菓子を囲んでダベるシーンまであるのに)取り払われている。通常あってもいい、観客に向けた内心の告白にあたる画面はほとんど見当たらない。鎧塚みぞれは、何を思って「フグ」と呟いたのか?踏み込むことができない一線、「薄い膜」の存在を、観客は鑑賞中通して常に片隅に感じ続けることになる。

ラストシーンで、突然振り向いた希美の顔を見て、みぞれは今までにないような驚きの表情を見せる。希美はどんな顔をして、何を口にしたのだろうか。想像の材料は途方もなく与えられて、しかし、決定的な事実は何一つ開示されないのだ。

リズと青い鳥』の世界と我々を分かつ「薄い膜」。その膜とは、少女の秘め事を覗き見ることへのエクスキューズであると同時に、観客の解釈から、そして山田尚子という創作者そのものから、彼女たちを守るためのベールではないのか。

すなわち『リズと青い鳥』は、傘木希美と鎧塚みぞれのための映画であって、観客のために作られた映画ではないのではないか。

生活の窃視は、はっきり言ってしまえば悪趣味だ。そんな悪趣味な手法を、どこまでも虚構であることを宿命づけられているアニメーションに取り入れること。そのことで、傘木希美と鎧塚みぞれを創作物という存在から引き離し、こことは違う世界に、この世界とは無関係に存在する人間になりうる。山田尚子は幸運にも高校三年生の吹奏楽部部員にレンズを向けることができただけで、彼女たちの未来を見通すことはできない。作品に対する全能者であるはずの映画監督が、自らと作品とを切り離すことで、真なる意味で「祈る」ことを許される。作者でいながら鑑賞者となろうとしたのが、山田尚子の意図のようにも思えるのだ。*3

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近くて遠い、二人の距離

答え合わせができない作品。山田尚子は、傘木希美が鎧塚みぞれだけに向けた言葉がなんだったかを知らない。それでも、覗き見た少女たちを愛おしく思った彼女は、せめて祈るべく、あるいは作者であることを降りた映画に対するささやかな特権として、どこまでも飛んでいく二羽の鳥を描いた。「幸せになる」という確証を与えずに、「幸せになってほしい」という願望だけを、彼女たちの知らないところで挿入したのだ。我々が「悲劇」であったり「ハッピーエンド」であったり、各々の観たい未来を『リズと青い鳥』で観たように。

 

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「それじゃあ、リズの決心が台無しじゃん」「でも、ハッピーエンドじゃん?」

 

上記の内容にエビデンスあるの?

リズと青い鳥』絶対読み解くマンにさんざマジメなブログ記事は書かれてもう何も残されていなかったのでせめて怪文書が書きたかった

*1:まだ波乱の第二楽章読んでない

*2:公式ロングPVでも「誰しも感じたことがある羨望と絶望」とナレーションされているが、解釈違いです

*3:本当に?