ふかふか団地ブログ

文芸サークル『ふかふか団地』についてのお知らせや、メンバーの日記を公開していきます。

2018年11月25日(日)第二十七回文学フリマ東京に参加予定。
ふかふか団地の既刊小説誌を売っています

スピッツ『CYCLE HIT 1991-2017』を聴く その②(シロクマ 2006-2017)

 

fukafukadanchi.hateblo.jp

 

前回の続きです。

 

シロクマ(CYCLE HIT 2006-2017より)

 

今すぐ抜け出して 君と笑いたい まだ間に合うはず
地平線を知りたくて ゴミ山登る 答え見つけよう

 

北極とか南極の生物が好きです。2月生まれだからでしょうか。

 

なので『シロクマ』というタイトルを観て、あっかわいいですねと思って気になっていたのでした。

 

そういえば、セブンイレブン白くまが神です。少し値は張りますが、ハーゲンダッツとの2択でもこちらを選ぶことがあるくらい好きです。

 

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ここまでマジで余計なことしか書いてないですが、まだ余計なことを書きます。

 

私は、日高屋に入ると短歌を詠まなくてはいけないというルールの下で生活しています。

 

twitter.com

 

短歌を詠むと、一つ一つふかふか団地のニューフェイスである、伝右川伝右先生が講評してくれる仕組みとなっています。

 

なんというか、最初は「思ったことを31音に整えればそれっぽくなるだろう」という浅はかな考えの下に、日高屋短歌を読んでいました。

 

その最初の一首がコチラになります。

 

 

これは我ながら「おっ。なんかそれっぽいぞ」と思って世に送り出し、Twitter上で7いいねを獲得しました。

 

ただ、何が「それっぽい」のかまではあまり理解しておらず、 そんな中で、伝右川先生より講評を頂くこととなりました。

 

 

詠んだ方は完全に「それっぽい」で送り出したものが、ここまで分解できるのか……と感動させられたのですが、同時に「5・7・5・7・7」の31音の制約の中で何かを表現するために、音の響き方、詠んだ時のリズム、目にした時の見た目や言葉の選び方まで意識した上で、歌は詠まれているのだなと、今さらに思い直されたのです。

 

『シロクマ』の話に戻ります。この曲に限った話ではないのですが、草野さんの書く歌詞は、伝右川先生の言葉を借りると、なんでその表現を選んだのか「必然性を見出したくなる」言葉にあふれていると感じました。

 

ちょっと遠い景色 簡単ではないけど
ビンの底の方に 残った力で

 

最初に「ビンの底の方に 残った力で」というフレーズを聴いた時、なんとなく私は「缶じゃないのか!」と思いました。なんかアホみたいですね……。

 

PVを観れば「ビンの底の方に残ったもの」がビールであることが分かるし、シロクマというタイトルは、ワイシャツ姿の壮年の会社員の比喩であって、それに掛かる表現であり、それが「ビンの底」である必然性であることも分かります。

 

でも、なんとなく「底の方に残った力」って「コーンスープの缶」のことのように思いませんか?シロクマってコーンスープ感ありませんか??私だけなんでしょうか???

 

最初のイメージ通り、柔らかくて力の抜ける曲でもあるのですが、サビの後にハッとするような直接的なリアリティを孕んだ言葉を投げてくるのも、この曲の好きなところです。

 

惑わされてきた たくさんの噂と
憎悪で汚れた 小さなスキマを

 

言葉は、普遍的であればあるほど、想いを重ねられる範囲は広くなっていくけれど、限定的な言葉であればあるほど、深く重ねられるように出来ていると思っていて、そういう限定的な言葉から、自分の依り代を探すのが私は大好きです。

 

このフレーズは、シロクマくんが何から抜け出そうとしているのかを示唆するものになっているように感じます。

 

でも、だからこそ

 

なんとなくでは終われない
星になる少し前に 

 

という最後の歌詞が、スッと自分の心に落ちてくる感覚を覚えたのです。

 

私が、スピッツの曲のどこに心を寄せているかというと、多分、諦観のような空気感がどことなく流れながらも「諦めきれない」感情を歌っているように聴こえるところのように思えます。そういう感情はよく知っているからです。

 

いい締めが思い浮かばなかったので、アカシアさんと私の宣伝ツイートを貼って結びとさせて頂きます。

 

 

 

スピッツ『CYCLE HIT 1991-2017』を聴く その①(空も飛べるはず 1991-1997)

ブログを書かないと、他のメンバーに詰められるのでブログを書きます。

 

7月23、24日と静岡に行きました。

 

23日はスフィアのライブだったのですが、24日はアカシアさんと遊びました。

 

アカシアさんと言えば、我がふかふか団地の表紙イラストを1冊目の『フランネル』からずーっと描いて下さっていることでお馴染みですが、8月20日(日)に東京ビッグサイトにて行われるCOMITIA121にサークル星くず循環線』で参加するそうです!

 

 

ふかふか団地の『ふかふか』は、おそらくベランダで干されているお布団のことだと思うのですが、薄暗く、陰鬱とした我々が『ふかふか』になるまでには太陽が不可欠です。アカシアさんは、そんな我々ふかふか団地を『ふかふか』にしてくれる太陽のような存在なのだと感じます。だからサンフラワーというタイトル、太陽の花・ひまわりが一面に描かれた表紙は必然なのではないかと感じました。アカシアさんの「さん」は、実は「SUN」と掛かっているのです。まるでどこかの声優さんみたいですね。私はアカシアさんの宣伝をするためにブログを書くんだ!!!!!

 

‐‐‐

 

それで静岡でお会いした際に、私がアカシアさんに豊崎愛生さんの『love your Best』を、アカシアさんが私に『CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection -30th Anniversary BOX-』を贈り合う、プレゼント交換会を行いました。 

love your Best(初回生産限定盤)(DVD付)

love your Best(初回生産限定盤)(DVD付)

 

 

私にとって豊崎愛生さんが何なのかの話を始めると、また長くなってブログ完成しないので、今回は割愛させて頂きますが、以前からお話する中で「もしかしたら、好きなんじゃないかな?」と感じていたアカシアさんに、ベストアルバムがリリースされたことをきっかけにして、愛生さんの音楽に触れてもらえたら嬉しいなとお渡ししたのでした。

 

そうしたら「私にとっての豊崎愛生さんと、同じような意味を持つアーティスト」として、アカシアさんはスピッツのシングルコレクションを私に渡してくれたのです。

 

全部のことを書くと1つのブログ記事としてはハードルが上がりすぎてしまうので、アカシアさんがコミティアに出られるまでの宣伝を込めて、シングルコレクションの中から、私なりに思うところのあった曲を少しずつ日記にしていこうと思います。

 

 

空も飛べるはず(CYCLE HIT 1991-1997より)

 

夢を塗らした涙が 海原へ流れたら

ずっとそばで笑っていてほしい

 

私がこれまで、どのくらいスピッツを聴いてきたかというと、中学2年生の時、ちょうどこのシングルコレクションにも収録されている『CYCLE HIT 1991-1997』を近所のTSUTAYAでレンタルしてきて、友達にMDに焼いてもらい、聴いていたものが概ね全てです。

 

もちろん、あいのりとかハチクロとか、車のCMなんかで曲を聴く機会はあったのだけれど、スピッツの曲を聴こうと能動的に意識をして聴いた記憶は、もう10年以上前のことになります。

 

当時の私にとって「スピッツとは?」と聞かれて真っ先に思い浮かべる楽曲が『ロビンソン』『チェリー』そして『空も飛べるはず』の3曲でした。

 

『ロビンソン』は、中学生の頃、修学旅行のバスの中のカラオケコーナーで、お歌が上手な女の子が歌っていて、おおカッコいい。なんという曲なのだこれはと思わされた記憶が強いです。シングルコレクションを借りるきっかけにもなったエピソードですね。

 

『チェリー』は小学校の頃に合唱で歌った記憶があります。小学生の頃って、いわゆる合唱曲然とした曲よりも、ヒットソングが題材に選ばれるとテンションが上がりますよね。チェリーも私にとってはそういう曲で、この曲を歌うのは楽しかったという記憶があります。

 

空も飛べるはず』も、同じく合唱の記憶がある曲なのですが、これは歌ったのは私ではなく、姉の学年でした。合唱コンクールの前、自宅で無限にこの曲を口ずさむ姉の歌声が今でも焼き付いており、原曲を聴いたことがないのに知っているという状態が生まれていました。

 

初めてスピッツを聴いた中学生の頃の私にとって、この『空も飛べるはず』は、そんなに重要な意味を持つ曲では無かったように思います。

 

スピッツの中でも、特に有名な曲の一つだからこそ、10年以上の時を経て、改めて聴いたことで、歌詞が自分の真ん中に深く突き刺さってくる感覚に強く驚かされることになりました。

 

偶然にも(必然なのかもしれないけど)アカシアさんに、豊崎愛生さんのベストアルバムを渡したばかりなのですが、誤解を恐れずに言うのであれば、この曲で歌われている言葉は、ネガティブな部分もキレイな部分も全て含めて、私が豊崎愛生さんに抱いている感情そのものであるようにすら思います。

 

 

中学生の頃の私は『君』と出会えていなかったから『僕』の気持ちを想像することが出来無かったんだと思います。

 

空も飛べる”はず”というのが肝で、これは『僕』に掛かる言葉なのだと思います。「隠したナイフ」「切り札にしてた見えすいた嘘」これらは踏み出せない一歩の象徴であって「きっと今は自由に空も飛べるはず」と思いながらも、実際に飛ぶわけではない。それでも『僕』は輝くすべを求めている。

 

今の私にとって、この曲は空に焦がれながらも届かない、少し諦観を孕んだ曲のように思えます。ただ、それだけではなく、同時に『君』と出会えたこと『奇跡』として胸に留めて生きていく、前向きな想いで包み込まれているからこそ、この曲に対する強い共感があったのだとも思います。

 

改めて聴いてみると、この曲に限った話ではなく、草野さんのワードセンスの絶妙さ加減が歳をとって理解できるようになってきて、ただ好きだとか愛してるだとか、それだけには収まらない自分の中にある複雑な感情を、かなり的確に言葉にしてもらえている感覚があって、それがとても心地よかったり、逆に痛切なまでに胸に刺さったりしています。

 

中学生の頃の私は譲れないほど好きだと言える何かがなくて、作文で発表できるような夢もなくて、それがコンプレックスでもあったのですが、あれから10年という時が経って、この曲を改めてじっくりと聴く機会に巡り合えて、この曲を自分なりに噛みしめられる自分になれてよかったと、そう思ったのでした。

路上で歌会をしてみるという試み

 

 

どうも、伝右川伝右です。

一連のツイートをご覧いただければ皆様お分かりかと思われますが、

フリースタイルふかふか団地を完全制覇しましたので、

ふかふか団地の新モンスターとしてこれから活動していこうと思います。

 

ラッパーではなく、歌人です。

歌人と自称するのは自分の中でちょっと違う気もしますが、

文芸部時代から短歌をやったりしてました。

今では結構な頻度で歌会をしたりしてます。

伝右川とは我々「ふかふか団地」の前身とも言える文芸部のあった母校の近くを流れる汚い川のことです。

以後、何卒よろしくお願いします。

 

突然ですが、歌会の話をします。

2017年6月24日(土)、私は歌会を主催しました。

歌会について最も簡潔に説明すると「自作の短歌を持ち寄って互いに詠み合う会」のことです。

普段、歌会というのは会議室で行われるのが常ですが、

今回は路上でやってみようということで

「戦略的路上歌会」と銘打って、興味のある人をtwitterで募りました。

 

なんで「路上歌会」を?というと、

 

街を自分のものにする

 

こちらの記事を見て

「なにそれ!楽しそう!かっこいい!こういうことがやりたい!」って思ったというのが本当のところのきっかけなのですが、

後付的に歌会の文脈で考えると

まずすべてを取っ払った歌会をしてみようと考えました。

 

歌会って面白いんですよ。

みんなが「私はこういうことが面白いと思うんですよ」とか

「これが僕なんですよ」というのを直球勝負で投げ合って、

それを受けて立ってバットで打ち返すバッターがいたり、

ラケットを使って変化を加えて打ち返すカットマンがいたり、

やさしく受け止めて投げ返してくれるひとがいたり、

普段僕たちが毎日コミュニケーションの一端として使っている「言葉」なのに、

その「言葉」の普段は埋もれている側面が垣間見えたり。

助詞の使い方ひとつとってもあーでもないこーでもない言ってるのヤバくないですか。

歌会はヤバいんですよ。

 

ということで、本当は突発的に

「明日、歌会してーやつ渋谷な」みたいな感じで人を募るのがかっこいいのでやりたかったのですが、

用意周到に日取りを一か月前ぐらいから話し合って決めました。

参加していただいたのは私のほかに3名、 計4名でした。

多分路上で歌会をする推奨人数は3~5名といったところかと思います。

 

18時に渋谷駅のハチ公前に集まり、そこで参加者の持ち寄った歌を集めます。

一首だけその場に持ってくればよいというそのシンプルさ。

素晴らしい。

 

本来は主催の人が司会して事前に歌を集めて歌稿を印刷してきてという手続きがあって、

それで作者が伏せられた状態で歌がずらーって並んで、

わーって言い合って、最後に「解題」として作者の発表があるんですよ。

それだと、司会は歌会というゲームからは一歩外れた立ち回りになるのでちょっと損な感じになるんですよ。

 

今回は司会もめんどくさいなと思っていたので、

それもなくそうという魂胆があり、

文明の利器(主にセブンイレブンappleの力)を使いました。

 

まず誰がどの歌を出したか分からないようにランダムに歌を並べ替える方法として、

たほいやというゲームのツールを使用しました。

たほいやについてはめんどくさいので省略しますが辞書を使った面白いゲームです)

(ほかにこういうツールがあるのかもしれませんが、あったら誰か教えてください)

 

たほいやゲーム

 

こちらから入ってもらって任意の言葉をお題にして「ゲーム開始」をクリックしてください。

それでそのページのURLをみんなで共有してください。

そして、みんなが打ち込み終わったら「すべての回答を見る」をクリックすると

ランダムに置き換わった短歌が並んでると思います。

 

その画面を見ながら進行することもできなくもないのですが、

やっぱり縦書きかつ紙だと思うので、セブンイレブンでプリントしました。

画像にテキストを入力するアプリ等を使用して画像ファイルを作成します。

私が使ったのは「Phonto」というアプリです。

こういう感じで作成しました。

 

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こんな感じでかわいくしたりその場で撮った写真を入れてみたりするのもいいかもしれません。

こちらを「セブンイレブン マルチコピー」というアプリを使って、

セブンイレブンのコピー機で出力します。

はがきプリントがおすすめです。

(他のコンビニでも同様のサービスを行っているのかもしれません)

 

私がせっせとコピー機でこしらえている間に他の参加者は思い思いのもの買っていました。

お酒とかアメリカンドッグとかアイスとか。

これでついに歌会の準備は整いました。

 

今回の歌会のルールとかどうやってやるかとかはその場の雰囲気で決めていきました。

「歌会をする」という大枠だけがあって詳しいところは場当たり的にやっていきます。

さきほどのセブンイレブンから「こっちかな~」とか言いながら歩いていると、

もうお酒がなくなっちゃったっていう人がいたのでまた近くのコンビニに向かい、

そのお買い物を待ってる時に腰をかけていた段差がちょうどよかったので、

そこで一首やることにしました。

そういう感じで、移動しては公園のベンチとか階段(通行の邪魔にならない程度に)とかに座って、そこで一首の評を、とたくさんのおしゃべりで脱線しながらやっていきました。

これくらいの人数でやると一首にかける時間が増えるので、よいと思います。

 

ちなみに一番の盛り上がりを見せたのは松濤の高級住宅街に迷い込んでしまった時でした。

「表札が高い位置にある!!!」とかゲラゲラ笑ってました。

すみませんでした。

 

ということで、

「会議室を予約する必要がない」

「司会がいらない」

「歌を事前に準備しなくていい」

という歌会をしました。

楽しかったです。

なおかつ楽でした。

 

まずすべてを取っ払い、歌会の敷居をさげるという試みは果たせたのかなと思います。

路上でやるのはおすすめですが、

近所のデニーズでもひとのおうちで鍋をしながらとかでもいいと思います。

「歌会行きたいけどこわいな」って思ってる人は自分の知っている信頼のおける人とやればいいし、

みなさまもぜひ歌会してみませんか?

私もまた夏の終わりぐらいに路上歌会を再びやろうかなと思っています。

それでは。

 

 

 

 

第二十四回文学フリマ東京ありがとうございました

サークルふかふか団地は、5月7日(日)に開催された第二十四回文学フリマ東京に参加しました。

 

お越し下さった皆様、改めてありがとうございました。

 

また、このブログで、新刊火星ソーダの通販開始を改めて宣伝させて頂くつもりでしたが、会場での頒布分とBOOTHでの通販分にて、用意していた部数は無事完売いたしました。

 

BOOTH通販にてお買い求め下さった皆様、またBOOSTにて支援して下さった方、ありがとうございました。

 

今回は編集長という立場でしたが、最新刊にして、これまでで最も濃密な1冊になったと自負しています。手に取って下さった一人一人にとって、少しでも楽しんで頂ける1冊になっていると幸いです。

 

 

また、私が書いていないにも関わらず、私の知り合いの方からもたくさんの購入報告を頂き、それがとてもとても嬉しいことでした。

 

それは、サークルとしての活動、あるいは収録されている作品のいずれかに期待をしてくれているからこそだと感じたからです。

 

だからこそ、自分が作品を提出できなかった悔しさも強く生まれてきました。せっかく読んで頂けるのであれば、期待してもらっているなら、やっぱり私もそこに在りたかった。今回、お休みをもらったことで、改めて「書くこと」の大きなモチベーションを貰えたような気がします。

 

 

次回は、11月23日(祝)に開催される第二十五回文学フリマ東京に向けて、製作を行ってまいります。

 

ふかふか団地という名前がついてから、満2年が経ちました。

 

今日、お昼の大戸屋までの道のりで少し考えていたのですが、これまで販売してきた累計冊数を数えたら、200部を超えていました。これって冷静に考えたらすごいことだよなと感じます。自画自賛とかではなくて、2年もの間、ずっと買い続けてくれている人も、そうでない人もいるけど、200冊以上、我々が個人的に作ったものが、誰かの手に渡っているという事実が本当にすごいことだなと改めて感じます。

 

次回は恐らく新メンバーが増えます。個々人の創作としても、サークルとしても、まだまだついてきてもらえるよう、少しでも楽しんでもらえるように、アカシアさんにお手伝い頂きながら、ふかふか団地一同、改めて頑張っていこうと思います。

 

 

ふかふか団地別冊「けいおん!」小説同人誌刊行予定!

 

先日、尾瀬みさき氏を池袋の隠れ家的居酒屋で買収し、アカシアさんを下田港の金目鯛の寿司で買収し、無事約束を取り付けました。

 

特にイベントとかに持ち込む予定はありません。完成次第、BOOTHで細々と販売していこうと考えています。(直近のふかふか団地の既刊が完売したので、次回文学フリマ東京で、余った分をそっとブースの端っこに置いておく可能性はあります)

 

テーマとタイトルも既に決まっています。

 

「10年後の放課後」

 

です。

 

けいおん!」原作連載開始から10年という節目の年を迎えて、当時学生だった我々も大人になりつつあって、そこで改めて「けいおん!」という作品を振り返ること。その上で、今の時間の中で「けいおん!」を想像することをしたいなと思ったのです。

 

この作品との出会いがなければ、私が今こうしてサークル活動をしていることも、ブログに文章を書いていることも無かったでしょう。私の人生を変えてくれた作品だと断言できます。

 

2016年12月29日、中野サンプラザホールで、平沢唯ちゃんとして歌う豊崎愛生さんにまた会うことができました。この作品と出会ってからの時間の先で、今の自分は、どうやってこの作品と向き合って、どう表現できるのかを知りたくなったのです。

 

ので、今回はふかふか団地製作というより、ごくシンプルに私がやりたいからやるやつです。

 

とはいえ、一人でやると完遂できないような気もしたし、もうチームプレイとしての同人製作に慣れきってしまっているんで、私の身の回りで、同じく「けいおん!」が大好きな、アカシアさんと尾瀬みさき氏にはご協力頂くことになりました。

 

「10年後」をテーマに書いた小説、アカシアさんのイラストの他に、特別エッセイ「わたしとけいおん!を、ケイスケ、尾瀬みさき、アカシアさんの3人分掲載予定です。誰が読みたいんだ。需要はあるのかと二人とも聞かれましたが、他の誰よりも私が読みたいんだ。書いてください。

 

刊行は9月上旬ごろを予定しています!ふわふわ時間なのでずれ込むかもしれませんが、9月中には形にします。今回は私個人の実費で刷って売るので、是非買ってくださいという言葉が切実です。何卒よろしくお願いします。

 

いい締めの文章が思い浮かばなかったので、あずにゃんを置くことで結びとします。

 

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明日は文学フリマ東京の墓場です

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明日、5月7日(日)に東京モノレール流通センター駅徒歩一分の建物で文学フリマがあります。

ふかふか団地(会場1階・B-64ブース)は新刊「火星ソーダ」500円と2016秋既刊「ニュータウン」500円を持っていきます。

 

火星ソーダ」は火星をテーマにした小説誌です。みんな火星にゆかりがある人間なので火星あるある、場合によってはライブ感みたいなものは生っぽくあるかもしれない。火星を軸にゆるやかな青春系・ダウナー系・日常系小説が収録されています。既刊ともどもよろしくお願いします。

 

火星ソーダ - ふかふか団地

 

俺がイベント参加においてもっともチェックする情報なのがアクセスなのでアクセスの話をします。

東京モノレールに浜松町から乗るか、あるいは羽田空港についたらそこから、流通センター駅に行って、降りて、改札出たらいかにも文学ライクな人間がいっぱいいるので後は流れでお願いします。

ふかふか団地があるのは1階です。

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前回開催時の記事をほぼまるごと流用したんですが、わたしの書いた「火星ソーダ」(サークル誌のタイトルが決まってから書き始めました、後だしジャンケンです)も、悪し様に言えば流用であるように思われます。

 

考えてみれば、人の一生とはたったひとつの同じテーマを、少しずつ違うやり方で再現しているだけの、退屈な映画のようなものかもしれない。
そしてそれはあっという間に忘れ去られ、大切だったなにかを、今日もまた、ひとつ、見失っていく。

高橋徹也 -いつも同じところで-

The Endless Summer

The Endless Summer

 

 

焼き直しというのか、作り直しというのか、やり直しというのか、いつもそうなのですが、書いていると、いつもとは違うことをやるのだと強い気持ちを持って打席に入り、結局同じような外のスライダーで空振り三振、といった様式美に回収される感覚があって、打席への入り方ではなく、フォーム、スタンス、ひょっとしたら右打ちから左打ちへのスイッチ、長い時間をかけて別人の打撃にならなければならない、けれど今は試合中であり、前の打席から打者が一巡して、凡退したからと急にフォームを変えることは愚行であり、吉村裕基の2011年ごろは本当にひどかったし、ただアプローチとして、前回(?)が流して打ったとするなら今回は引っ張って右打ちです。左打者なので。後ろにとにかく繋ごうという意識で打ちました。

 

ただいまサナトリウム

 

火星ソーダ」(小説)は、2014年に小説合同誌「ただいまサナトリウム」に寄稿した「真昼の星」の続きというかパラレルというか、やっぱりリメイクというのか、そういった位置づけのお話です。もちろん、読んでいないことを前提に書いた、独立した作品ではあります。ただ、物語として切り取られた時間の前と後ろにも、やはり時間があって、それを意識しているのにいつもいつも短編では、という気持ちもあり、カットとカットを繋げて物語として読み取るということは映画的ではないかと思うし、せっかく同人を続けてやっているのだから、お遊び要素を入れたっていいんじゃないかと思うようになりました。よろしくお願いします。