「ペンネーム」を考える
そもそも何かを書こうと思い始めたのが大学生からだったので「ペンネーム」というのに縁がありませんでした。
私は設定を考えたり、カッコイイ技の名前を考えたりすることに、ワクワクするより先にむずかゆくなってしまう人間なので、もう一つの名前を考えるのも等しく気恥ずかしくて仕方がありませんでした。
だからネット上のハンドルネームとか、ラジオにメールを投稿する時なんかも、本名の下の名前をそのまま持ってきただけ。
だけど最近思ったのは、自分が書きたいものに対してペンネームというのは結構往々にして作用するものだなということです。
最近大切なご友人にプレゼントしてもらった、とある漫画を読みました。
「わたしたちは皆おっぱい」という作品です。
なかなかデンジャラスなタイトルですが、決してえっちな漫画ではありません。
人付き合いが少し苦手な「女の子のおっぱいが大好きな女の子」が、そのおっぱいへの愛を少しずつ表に出せるようになって、そのことで自分の周りの世界が徐々に広がっていく、とても素敵なお話です。
作者の東風実花先生は女性で、担当さんも女性と明言されています。
少女マンガのようなタッチとテンポで、タイトルとは裏腹に男性読者の視線みたいなものは取っ払って「私たちの思うおっぱいはこうだ!」というのを、自由に描いていたように思います。
そのことが、逆におっぱい的な意味でもいいおっぱいになっていたように感じました。
が、2巻の途中から担当編集さんが男性に替わった事が明言されます。
作品の中身自体は変わっていなかったと思います。
ただ、この漫画を構成する要素に「男性の視点」が入り込んだこと。
これが作品全体を少しぎこちなくさせてしまったというか、男性が女性に「ぼくの思うおっぱい」を言うこと、女性が男性に「わたしの思うおっぱい」を話すこと。
そのハードルの高さが、そのまま作品自体にも反映されてしまったように感じたのです。
結果して、1巻までの突き抜けたハイテンションおっぱいが見れなくなってしまいました。
2巻のクライマックスで「おっぱいは世界を救う」という主人公・貴子の名演説があるまで、おっぱいは少しかたくなっていたように思います。
前回お話したように、私の目標は「かわいい女の子を書くこと」です。
これを実現する為には、ペンネームから改めて考えなくてはならないなと思った次第なのです。
そこで、この世で一番尊敬している大好きな女性の名前から「愛」の字を拝借し、私自身の下の名前から漢字だけ変えて、同じ響きの「恵」の字を抜き出し「愛宕恵(あたごけい)」に決定しました。
私は敬愛する相沢沙呼先生が現役女子高生黒髪ロングマジシャン作家であることを疑ったことがありません。
私も文章を読んだら少女だと一発で分かってもらえる人間にならねばと思います。
私がサークル代表者なのでふかふか団地的お知らせをすると、メンバーが4人になりました。
これから私の次の日記は、新しく入ってくださった私のセンパイが書くことになります。
4人はとても据わりがいいですね。バンドを組むにもちょうどいいし、私の大好きな声優ユニットも4人です。
話し合いをしたところ、3人の時は業務的な話が多かったけれど、4人になったら今度は余計な話が楽しすぎて止まらなくなってしまいました。
来るもの拒まず、去るもの追わずの精神ですが、少なくとも私が勧誘しようと思っていたのはこの4人なので、文学フリマは恐らく4人態勢で1冊の同人誌を作ることになると思います。
「かわいい本にしようね!」と話し合っているところなので、わたあめのようにふわふわで甘い1冊になると思います。
どうぞよろしくお願いします。