ふかふか団地ブログ

文芸サークル『ふかふか団地』についてのお知らせや、メンバーの日記を公開していきます。

2018年11月25日(日)第二十七回文学フリマ東京に参加予定。
ふかふか団地の既刊小説誌を売っています

ああああ

 『何故2015年の横浜DeNAベイスターズ阪神先発の藤浪を攻略できないのか?』って題でブログ記事を書きたくて仕方なかったのだけれど、このブログは文芸ブログでありスポーツ評論ではないのでやらないし、そもそもそんなもん俺が知りたいし、分かったら横浜DeNA側に資料として送るので覚悟しておけ。

 タイトルって大事だ。こないだ諸般の事情で(主に道に迷った)銀座駅に向かうつもりが東京駅まで歩いてしまって丸善に寄ったら『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』って本がランキングに載っていて、ふーんってなった。2015年の新刊にしてはビッミョーに手遅れではないか?と思わせる表題で、でも著者が日本の法哲学における大家であることを踏まえればここまでセンセーショナルなタイトルもなかなかない。魔力がある。
 とても好きな作家に米澤穂信がいて、ファンの目線から見ると米澤はタイトルセンスがない。本の名づけは編集との共同作業だから責が全て作家にあるわけではないけれど、どうにも華がないのだ。具体的にどこがどうか説明しないと難癖っぽいけど、『リカーシブル』とか『追想五断章』とか『折れた竜骨』とかさあ……(個人の感想です)。
 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』から(でいいんだよね?『もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』より先だよね?)連なる状況説明型のタイトルは実はラノベ業界的には優れた発明だと思っていて、それはどういうことかというと、かっこいいタイトル、しゃれたタイトルでなくてはならなかったラノベのタイトルの肩の力を抜くことができた。もちろんインターネット文化的なところと親和性を感じさせるとかそういう効力もあるんだけれど、当時としては思考停止でなくむしろエポックメイキングだったと思うのだ。開き直りも時には大事という。
 題名は名前なので作品の中身の出来とはほぼ関係がないのだけれど、それはタイトルが内容とは独立した一個の作品であるということだし、だからこの世の中にはコピーライターみたいな職業の存在が許されてしまう。作家にとって名付けは必ずしも本業ではないのではないかと思う。詩と散文。

追伸:早く同人誌のタイトルを決めてくれ、たのむ