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ふかふか団地ブログ

文芸サークル『ふかふか団地』についてのお知らせや、メンバーの日記を公開していきます。

2017年5月7日(日)第二十四回文学フリマ東京にて、四冊目の新刊『火星ソーダ』を頒布予定。
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忘れたことなんて無いと歌えるように笑おう -戸松遥 BEST LIVE TOUR 2016~SunQ&ホシセカイ~-

誰かの音楽やステージの何処に惹かれるのかというと、私の場合は「説得力」に他なりません。

その人が、その人として、その言葉を吐く理由。バラードを、ロックを、ポップスを、アコースティクを歌う必然性。

その人が歩んできた道筋と、音楽とがピッタリと重なり、観客席に突っ立っている私にも確かに伝わり、心が震える瞬間こそを、私はずっと追い求め続けているのだろうと思います。


本日は「LAWSON presents 戸松遥 BEST LIVE TOUR 2016~SunQ&ホシセカイ~」愛知公演2日目に参加してきました。

このライブツアーは、はるちゃんが今年6月にリリースした2枚のベストアルバムを引っ提げてのもの。はるちゃんにとって愛知は地元公演であり、ツアー折り返し地点での凱旋公演となりました。

ツアーのセットリストの中には、その公演限定の楽曲がいくつかあります。本日の限定曲は、その中でも『STAGE』『やさしき日々』『ラブ♡ローラーコースター』の3曲だったのですが、特に『STAGE』『やさしき日々』の2曲と『ドーナツ』という曲についてを書き残しておきたいと思います。

 

STAGEのこと

『STAGE』は、2ndアルバム「Sunny Side Story」の終わりから2曲目に収録されている楽曲で、はるちゃんがステージに立っている、今この瞬間について、ステージの上から「ありがとう」と繰り返す楽曲です。

これまでも大切な楽曲であったことに間違いはないのですが、この楽曲の言葉たちは、私の大好きな豊崎愛生さんのことを思い出すものでもありました。私個人としては、はるちゃんのライブについては、バラードにしても、アッパーなハイテンション曲にしても、等しく言葉を受け取る以上に、ステージに立つ姿そのものから受け取る感情に意味があると思いながら見つめ続けて来ました。

それは今も変わらないと言えば変わらないのだけど、この日の『STAGE』は言葉が感情を超えて染み込んでくる感覚がありました。はるちゃんは今日、MCの中で「声優というお仕事を初めて10年、歌手として8年が経ちました」と振り返っていました。

ステージの上に立つことは、誰にとっても等しく『選択』だと思います。忘れてしまいがちだけど、はるちゃんが今日、この日にセンチュリーホールのステージに立っていることも、決して当たり前のことではなくて、10年以上前に声優になるという選択をして、8年間歌うことを辞めず、スフィアとしてもソロとしても、ステージに立ち続けることを選択したからこそ、この瞬間があります。

 

長い長い時間を経て、はるちゃんがステージに立つ前から過ごしたこの土地に戻ってきて、自分を見守る大勢のファンの前で歌われた「ありがとう」は、これまで選んできた全ての時間、そのものに対する言葉であるように感じました。

 

 

やさしき日々のこと

そして、立て続けに歌われたのが『やさしき日々』。

イントロが流れてきた瞬間、この曲を選んできた事実に感情を揺さぶられ、同時に、今日のライブを観ることが出来てよかったなと、強く思わされました。

この曲はかつての当たり前を、愛しくもやさしい日々を、もうすぐ大人になるその直前から振り返る楽曲。ラブソングという捉え方もできるけど、今日はるちゃんが歌った「大切なひと」は、特定の想い人というよりも、これもこの場所で過ごしてきた時間に対してのように思えました。

この曲を歌っているはるちゃんは、声優でも歌手でもなく、戸松遥という一人の女の子でした。

『STAGE』で今自分がいる場所を示して、『やさしき日々』では、ある種ステージから降りた自分の姿を見せる。あの日から変わったことも、変わっていないことも両方あって、その両方を、今自分が生まれ育ったこの場所で伝えたくて、選ばれた2曲のように思えました。


少し最初に話を戻すと、歌を歌うという行為自体はそう難しいことではありません。例えば私でも(上手い下手かは置いておいて)戸松遥さんの歌を歌おうと思えば、歌うこと自体は可能です。

例えば私じゃなくて、めちゃくちゃ歌が上手いカラオケ王者決定版みたいな、歌のスペシャリストがいたとします。その人も覚えさえすれば、戸松遥さんの歌を歌うことはできます。

その人が全曲戸松遥さんの楽曲でライブをすると言って、その同日に戸松遥さんのライブがあったとして、皆さんはどちら行くでしょうか?

多分なんですけど、後者なんじゃないかと思います。

私にとっては、その理由こそがステージの上の「説得力」を見たいからであって、その人がこの曲を歌うことの必然性なんだと思います。

 

ドーナツのこと

その後、私は久しぶりに『ドーナツ』を聴きました。

戸松遥さんの全楽曲の中でも、1番に近いくらい大好きな楽曲です。だけど、イントロが流れた時に、ふと前の2曲とは全く逆で「あの時」に聴けたからこそ、意味があった楽曲だったんじゃないかなという考えが、頭をよぎりました。

あの時というのは、4年前の2ndライブツアー「Sunny Side Stage」のことで、今のはるちゃんは、明らかにもっと上手く歌を歌えるようになっています。『ドーナツ』は今から見ると粗削りで、不完全かもしれないけど、絞り出すように全力で、だからこそ痛切で、その痛みにこそ惹かれていた楽曲でもありました。

今のはるちゃんは、この曲を「上手く」歌えるようになっているのかもしれない。もちろん、それはいいことなのだけれど、今のドーナツが自分にどう響くのだろうと、楽しみにしていた分、ドキドキしながら見つめていました。

そこには、ちゃんと今の『ドーナツ』がありました。上手くもなっているのだけれど、上手いとか下手とかそういうことではない。今のはるちゃんの温度で、今のはるちゃんの心の穴を、隠さずに叫びきっていたことが、私にとっては何よりも重要なことでした。

「忘れたことなんて無いと歌えるように笑おう」

この言葉は、前よりもずっと重く、確かに自分の身に降りかかってきました。

胸に空いた穴を塞ぐ歌ではないんです。その穴が空いた心の形を、ドーナツみたいに、そうある姿として受け入れていく歌なんです。

だからはるちゃんが痛切に叫ぶのは、きっとずっと変わらない。でも私は、その穴を胸に抱いて歌っているからこそ、盛り上がる曲は心の奥底から楽しむことが出来ているようにも思うのです。

『Q&Aリサイタル』は大好きだけど、それはたぶん『ドーナツ』を知っているから。その姿を、はるちゃんが他でもないステージと歌で、私たちに明かしてくれたなんだと思います。

 


今回のベストライブは、8年歌い続けて、26歳を迎えたはるちゃんの現在地が確かに分かるものでした。

前回のツアーは、個人的にはコンセプトそのものが説得力を担っているものでした。遊園地というコンセプトを完遂するために、ひとつひとつの曲と、セットリストの必然性を汲み取って行き、遊園地というコンセプトの中で、これまで歌ってきた楽曲にも新しい意味が付随していったような感じ。

それが今回は、他でもない戸松遥さん自身が、1つのライブではとても収まりきらない曲数になった自分の楽曲たちの中から、私たちとはるちゃんが選んだ楽曲と、選ばれた意味を、これまで歩んできた道のりと一緒に、「今の戸松遥」で、一つ一つ、私たちの胸に刻んでいってくれるような感覚を覚えました。


ライブの最後は「愛知ではいつもこう言っている」と、MCで語っていたように「バイバイ」じゃなくて「またねー」と、手を振ってお別れ。

次に愛知に帰ってくるときには、きっとさらにキラキラしたはるちゃんの姿があるのだろうと想像しながら、久しぶりに感じる幸せな疲労感を噛みしめて眠ることにします。