ふかふか団地ブログ

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2018年11月25日(日)第二十七回文学フリマ東京に参加予定。
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今年観た映画11本についての覚書き その②

 

fukafukadanchi.hateblo.jp

 

昨日の続きとなります。

 

⑥ベイビードライバー

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伝右川伝右という後輩が「僕は観てないけど、面白いと思う」という謎の薦め方をしてきたため、観に行きました。(伝右川は打ち上げ花火を観てくれたため、義理を果たす意味もあった)

 

振り返ってみたら、今年12月18日まで劇場で観た新作実写映画はベイビードライバーのみだった。オタクだから仕方ないね……。

 

私は、映画に関しては割とご都合主義的な展開だったとしても、気持ちのいい帰結を迎えて欲しいと思っている。シーンごとに分解するとめちゃくちゃ気持ちのいい映画で、映像と音で気持ちよくノらせてくれるという意味では満点だった。ただ、初見時は映画が帰結する地点、終盤のベイビーの清算内容だけ微妙にモヤっとしてしまった。

 

が、後からよくよく考えてみて、ヤクザのカップルとかドクの存在は、ベイビーが「こうなっていたかも知れない可能性」なのかもしれない(ドクが劇中でわざわざ『25年前』という具体的な数値を出していたので、そんなに間違っていないと思う)と解釈し直して、それならむしろキレイに精算した映画なのだなと思い直した。音楽が超重要な映画なので、極上爆音上映で観れたのは僥倖だった。もう一回観る時も映画館がいいな。 

 

きみの声をとどけたい

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夜明け告げるルーのうた』でアニメ映画っていいよね……いい……何故これが売れていないんだ……と思った後に『メアリと魔女の花』『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』で、プロモーションをする大人たちはアニメを観てくれ……これが大人のやり方か……汚い……となり、ズタズタな心で辿り着いたのがこの映画だった。

 

決して完璧な映画でも、革新的な何かがあった映画でも無かったと思うのだけど、上記のような心情の移ろいも相まって「こういうのでいいんだよ……」と強く感動させられた、非常に愛らしく丁寧で爽やかなアニメ映画だった。

 

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進路が決まる前の高校2年の夏休みに、女子高生たちが自分たちだけで番組表とか音楽とか考えて、ミニFMでラジオ番組をやる。話す内容は自分たちの日常のこと。そのラジオが少しずつ街の人たちに認められていくという作劇、なんというか、こう、詰まってるな、夢って感じがするじゃないですか。

 

何がいいかって、この女子高生たちがお喋りをするラジオを聴いて「お前ら本当にラジオっていうのが何なのかわかっとるんか」というラジオを愛するオタクが絡んでくることで、彼女の人脈と指導の下、ただのお喋りが、きちんとラジオ番組としての体裁を成していくところだったなとも思う。

 

もともと周辺100mにしか届かない電波で、ただ一人に届けるためだけに始めたラジオだったけど、その使命感に駆られてラジオを続けていたというよりは、なぎさのごっこ遊びから始まったものが、色んな人を巻き込んで、転がって、大きくなったことが楽しくなっていく過程が愛おしい。上手く転がりすぎるということはあったかもしれないけど、それはご愛嬌として、非常に地に足がついたローカルな広まり方には好感が持てた。T-Pablowも「本当に大事なのは広める事よりも広め方」って言っていた。(その後晋平太の胸倉を掴んだ)

 

全体的に「良かったところ」よりも、はるかに「好きなところ」「愛おしいところ」の方が多い映画で、すなわちめちゃくちゃかわいい映画だった。

 

傷ついた心があまりに癒されてしまったことと、上映期間終了間際だったので、朝に立川シネマシティで観た後、その日の夜にシネ・リーブル池袋で1日2回同じ映画を観るという行為に及んでしまった。鎌倉に行きたいね。

 

 

交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション

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ずっと興味はあったけど、中学時代にブックオフで漫画版を立ち読みしたのと、アナザーセンチュリーエピソードの知識しかなかった交響詩篇エウレカセブンという作品。

 

アニメ未視聴だったが、なんとなく映画が観たい気分の時にちょうど上映していたので、仕事帰りにフラッと立ち寄ったのだった。

 

ぼんやりと知っていた、レントンの泥まみれなオトコノコ成分に触れてみたいところがあり、それはとても充足されたなと感じる。

 

あと、映画版の新規カットの中で、アドロックがエウレカニルヴァーシュから落とすシーンは恐らく『生まれ落ちる』という意味で、その対比として、レントンビームス夫妻の船から降下するシーンが使われており、これが映画の始まりと結びになっていたのはキレイだったし、続き物だけど一本の映画として成立させる構成の気概は感じさせられた。

 

が、アスペクト比がね…………。

 

エウレカセブンの放映時期の話もあるのだけど、新規に描き下ろされたカットは16:9、アニメ版の既存カットは4:3のものが、どちらかに刷り合わせることなく、そのままに流されていた。

 

新規カットと旧カットがハッキリ分かるし、映画の構成としては、レントンが『回想』する形で旧カットの画が使われていたので、視聴者に対するメタ的な意味での回想演出という意図も理解はできるけど、それ以上にコロコロアスペクト比が変わるのは映画として美しくない。

 

映画を観にくる理由の一つとして、テレビでは収まり切らないような、ゴージャスでダイナミックな『画』を観たいという欲求があるのであって、劇場スクリーンを100%使いきれない4:3のアスペクト比でそのまま流すというのは、わざわざお金を払って劇場に観に来ていることが前提な以上、非常にナンセンスだと感じた。

 

1本の映画として観た場合は、エウレカレントンが『産まれるまで』の話だと解釈した。その意味は「命を授かる」というよりかは「ここから始まる」ということの言い換えの方が近いようにも思えて、まあもともと3部構成だし、正確には次以降の展開を観てみないと作品の評価は下せない。

 

ただ、これで1年間間隔を空けるのは大丈夫なのだろうかという気持ちが無いでもない。どうしても続きが観たいという訴求力には足りない気がするし、シリーズには根強いファンがいるものの、進行形の作品というわけではない。元々のシリーズファンは観に行くだろうけど、劇場で上映するなら私のような新規層をキャッチする意図の方が強かったんじゃないだろうかと感じる。

 

どちらかというとテレビシリーズが観たくなったかもしれない。(この映画版は、物語上比較的重要な設定がオリジナル要素に書き換えられていると知ったため)これはもしかすると、そういう作戦なのか……。1年後までにまんまとその作戦に嵌っているか否かは何とも言えないところである。

 

 

力尽きたので、もう一回続きます……