ふかふか団地ブログ

文芸サークル『ふかふか団地』についてのお知らせや、メンバーの日記を公開していきます。

2018年11月25日(日)第二十七回文学フリマ東京に参加予定。
ふかふか団地の既刊小説誌を売っています

ソビエトロシアではアイデアが貴方を殺す!

 かつてわたしは設定厨であり、大学ノートにバトル物の特殊能力だったり凝りに凝ったキャラクターの名前だったり大体がディストピア的である社会システムだったりを書き連ねていた。そういった妄想を作品に還元することなくただ書き溜めることで満足していた時代があって、それはそれでよかった。
 けれども、短いものであれ書き出しがあり結びのある小説の形式を取る文章を書くように(あるいは書けるように)なった。妄想の行き先がノートでなく創作になった。ノートは、現時点では使い切れない妄想の保存場所に役割が移った。
 ノートにストックされた雑想やアイデア、物理的ガジェット、書き出しやハイライトを先行して書いた草稿。これらの多くは陽の目を見ることなく捨て去られていった。当時書けなかったアイデアは、薄くとも経験を重ね、少しでも技術を磨き、まとまった時間を置いてみた結果、以前よりもさらに自分から縁遠いものになってしまったのだ。

 敵は一抱えほどの大きさの白い球体だ。どこかお餅を連想させる図体と黄緑色の大きな一つ目がユーモラスな印象さえ与えるが、これでもかなり厄介な<怪>だ。……まあ、とりあえずコードネームは<おもち>で。
 <おもち>は目を見張るほどの跳躍力で結界の中を四方八方跳ね回り、隙あれば一つ目から目の色と同じビームを撃ってくる。
避けるのはさほど難しくないが、流れ弾が結界の壁に当たると結界自体にダメージが加わってしまう。
ちょっとやそっとの損傷で壊れるような空間ではないのだけれど、先ほど避けた弾の当たった箇所には自己修復する結界でも治しきれない傷が残っていた。光弾が桁違いの破壊力を持っているということだ。
「先輩、わたしがあいつ止めます! 先輩が決めてください!」
 青を基調としたエプロンドレスのような衣装を身にまとった、ヨーロッパのおとぎ話から飛び出たような女の子が叫んだ。門松里多。
彼女は純然たるインファイターだ。大きな赤いリボンをうさぎの耳のように揺らし、飛んでくる緑の矢を最小限の動きでかわしながら低い姿勢で突っ込んでいく。その瞬発力は尋常のものではない。
走っているのか転んでいるのか分からないくらい前のめりになって前進していく。右へ左へ、前へ、前へ。わたしは彼女を誤射しないように注意を払いつつ敵の動きを少しでもコントロールするため威嚇射撃を行った。
 当たらなくていいと思って撃ったのだけれど、たまたま一発が空中にいた<おもち>に命中し、地面に落ちて悶えた。
その隙に白い球体に飛びつき、左手で地面に向けてあお向けに押し付けるようなポジションをとった里多は、真上を向いていた一つ目にむかって右手を振り下ろした。
反則技の目潰し。最近なれてきたけれど、この子の戦い方は無自覚にえぐい。
 やはりというかなんというか急所だったらしく、<おもち>は口の見当たらない体から振り絞るような悲鳴を上げた。<おもち>に手がついていたらきっと必死になって覆うだろう。
相手が怪物でも痛みは想像できるからいくばくかの同情もする。しかし、チャンスだ。
「<バインド>!」
 わたしは特撮の小道具のような見かけの銃を口元まで持っていった。この銃は音声入力方式で発射弾が切り替わる。<バインド>は拘束弾の合図だ。
切り替えの間に照準を定め、装填の音と同時に引鉄を引いた。<おもち>に命中した弾は光の輪で幾重にも縛るような形を作り、行動の自由を奪った。
「<マキシマム>」
わたしは再び銃につぶやく。一発限り、最大威力の一撃。外さないよう両手でしっかと構え、わたしは拘束から逃れられない<怪>に対し、引き鉄を引いた。

彼女とハイタッチ。

 捨てた草稿(なのだけど、バックアップを外付けHDDやらに年単位で取ってあったのを整理していたら出てきた)の一例で、魔法少女がモンスターと戦っている。書いた頃は定かではないが、まどか☆マギカのTV版放映より後、劇場版封切りより前なのは間違いない。新編・叛逆の物語を観た辺りで、このネタに見切りをつけて書き溜めた設定などをEvernoteから(今は創作メモはEvernoteにまとめてある)全て削除した。
 高校三年で受験を控えた女子高生が、さながら引退後の部活にいつまでも顔を出す厄介なOBOGのように魔法少女であることにしがみついて、という話だった。アラサーの巴マミという設定の日常物までありながら、魔法少女が正しい時期に引退する話というのはどうも見かけない、しかし需要はあるのではないかと思っていた。
 書くのを諦めたのは、自分にバトル物は向いていないという技術不足が半分、魔法少女のタイムリミットという物語と縁が切れてしまったのが半分だ。
 世間一般のまどマギ熱、魔法少女ものブームも五年も経てば落ち着くし、飽きもする。けれど一定の成熟したジャンルとして受け入れられたとも見ていて、魔法少女をテーマにした創作が時代遅れと切り捨てられることはないと思っている。この記事を書くに当たって見直して思ったけれど、新規性こそないもののまったく相手にされないネタではない、はずだ。
 問題はわたし自身の心境や環境の変化だった。まだ大学に籍を置き、就職活動から逃避する自分にとって「魔法少女の引退」という物語にはある種の共感と切実さがあったのだ。けれども大学を卒業してしまい、フリーターをやり、今年からは正社員としてサラリーマンになってしまい、そういった感情に懐古の念こそ覚えても、どうしても書かなければ耐えられないというようには思えなくなった。自分には必要のない物語になってしまったのだ。
 アイデアが腐るという表現がある。これは正しくない。腐るほどのアイデアなら最初から陳腐なのだ。多くの場合、アイデアにはいつまでも輝きが残されている。アイデアが死ぬのではない。あなたとアイデアの間にある細い紐のような関係性が断裂し、断絶するのだ。そういった実感がある。そして、棚上げして時が熟すのを待って取り組むべき大それた課題というのは、未熟な十代二十代の時分にはほとんどありえない。アイデアと出くわした瞬間にアプローチをしなければ、単なる他人で関係性が固着し、挽回のしようはないのである。