ふかふか団地ブログ

文芸サークル『ふかふか団地』についてのお知らせや、メンバーの日記を公開していきます。

2018年11月25日(日)第二十七回文学フリマ東京に参加予定。
ふかふか団地の既刊小説誌を売っています

小説制作ノート その1

小説のことが書かれていないし、自分のことが書かれていないブログなので、自分の小説のことを書きます。

11月の文フリに合わせるためには10月末には出来上がっていないとなかなかしんどいことになるというのは前二回で身にしみたし、ひとまず、一ヶ月で小説が出来上がる過程を週ごとにあけっぴろげに書き残して、それでブログ記事のノルマ達成にしようということです。実際の原稿ではなく、その時のメモに何が残っているか、を書いていく。わたしはメモ部分を原稿にしたら書いている最中でもそれをメモから削除する癖があるので、メモが減っていくというのは元気な証拠だし、この記事が充実することは危険信号だと思っていただいて結構です。

 

死人の方が、人間でないものの方が、よほど生き生きと、人間味があって、
「うらめしい」
その言葉は冗談そのもので、醜い。
そしてなにより、わたしは幽霊になったとしても、あんな善性を帯びることはないのだろうと、奇妙な確信があった。
 
 
主人公 大学生 隣の大学 団地出身
幽霊 数年前に死んだ 生き生きしている
友達(センパイ?)外の人、外側の人 エロゲ声優
街の様子
住みやすい街かと聞かれると答えに窮する
 
生まれ変わりの拒否
成長の拒絶
スクラップしないこと、ビルドしないこと
とどまり続けること
 
セックス
もういいのかなって
 
物に触れられるのは魂の質量の分が残されている、しかしそれはものを撫でるだけで、何かを動かすほどの力はない
 
時の止まった部屋
引越しでもぬけの殻になった部屋に住む幽霊
 
生きるとは
生きているとは
肉体 精神
肉の悦び
精神的充足
パンと礼節
 
"死亡時の全財産は信玄袋1つで、中身は書きかけの原稿と新約聖書、鼻紙、川海苔、小石3個、日記3冊、帝国憲法とマタイ伝の合本だけであった。"
 
ゴーストタウンという言葉の意味を正しく理解したのは、その響きを知ったかなり後のことだった。
 
壊てやらんと取り残されて本当の幽霊になってしまう
 
誰かにとって意味のあることをしたほうが多分楽しい
 
供養
 
鏡には映らないからどんな顔をしているのやら
 
大学-信号-団地

 

【 レビュー】ペルソナ5でゲームの面白さを思い出した

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どうも私です。

最近、ペルソナ5を熱心に遊んでいます。
いやー面白い。まりまりマリーゴールドの「ボーリングの回」くらい面白い。
というわけで、今回は適当にペルソナ5の感想を書きます。購入を検討されてる方はどうかご参考に。もちろんですが、致命的なネタバレは避けます。
近年、RPGをやるスタミナがなくなっていましたが、今作は久しぶりに楽しみながらプレイしてます。

※現在40時間くらいプレイ。過去作はペルソナ4のみプレイしました。



目次

1、はじめに
2、テーマとストーリーについて
3、キャラクターについて
4、ゲーム性について



1、はじめに

今の中高生はペルソナ5のせいで厨二病を患って、5年後くらいに恥ずかしくなって憤死して欲しい。


今回のシリーズのテーマは怪盗だ。異世界で怪盗団を結成した主人公が、悪人たちの心を盗んで改心させていく。昼間は普通の高校生、夜は世間を騒がす怪盗団。

何よりもカッコイイ。カッコつけすぎてる。

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心の怪盗っていうのが既にアレですけど、ゲームの演出とか設定がとにかくカッコイイんです。キャラクターのデザイン、戦闘のエフェクト、BGM、ステータス画面ですらカッコイイ。最新の技術を惜しみなく使ってカッコよくしてます。モーションとかエフェクトとか一生見てても飽きないくらいカッコイイ。
そこは一切の妥協なく作られているように感じますね。
前作と違って、怪盗団は世界をまたにかけるヒーローな訳で、憧れられる様な魅力というのが必要です。そこらへんがペルソナシリーズのスタイリッシュさと上手くマッチしています。後で記載しますが、怪盗というテーマの選択はかなりの名采配ではないかと思います。
是非、現在中高生の皆さんは多大な影響を受けて欲しい。怪盗のマスクとか自作して欲しい。そういう厨二病が推奨されるゲームであるし、既に大人になってしまった人も、恥ずかしがらずにあの頃の気持ちを思い出してみてください。
僕もRPGを1番プレイしていた中学生時代のワクワクを思い出してノスタルジーに浸っています。


2、テーマとストーリーについて

怪盗団という設定がハマりすぎている。


まだ完全にクリアはしてないので語りきれない事も多いですが、ストーリーとテーマについて。
とにかく怪盗という設定が絶妙すぎる。
カッコよさやダンジョンの面白さに理由を加えるための良いエッセンスになっている。
このゲームの面白さは画面の飽きなさだったり、ダンジョンの面白さだったりするんだけど、それに怪盗ってワードが上手く絡んでくるんですよね。
逆に言うと、怪盗であることがものすごく話を自然に面白くしているように感じさせるんです。
まずこのテーマ設定の理由を褒めたい。
あと、ストーリーについて。ネタバレはNGなんで、前作と比べて特に印象的だったところだけ。
前作では田舎の「閉鎖感」というのが大きなテーマの一つでした。どこにも行けない閉鎖した空間が重大な事件の原因になりました。
一方、今回は大都会東京が舞台です。何でもできる、どこにでも行けるような街。でも、そこで若者が感じていたのはまたまた「閉鎖感」だったのです。
「東京は広い場所だけど、私たちはいつも何かに縛られている」という発言が印象的だった。
自由な場所がある事がわかっているからこそ、大人や規則に縛られることを何よりも窮屈に感じているのだ。
どんな若者でも世の中に閉鎖感を抱いているものなんだなぁと勉強になりました。
ペルソナ4の時はド田舎に住んでいた僕も、今となっては東京に通ってる訳で、何だか今回の移り変わりは人事に思えなくもある。

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3、キャラクターについて

今作も個性豊かなキャラクターが登場する訳ですが、今回は特に私の好きな2人をご紹介します。
女性キャラクター2名となっております。もちろん従来通り、コイニハッテンすることも出来る。

新島 真

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主人公と同じ私立秀尽学園に通う3年生で、頭脳明晰品行方正な生徒会長。
責任感が強く行動力もあるが妥協が出来ない。
ある悩みからペルソナ能力に目覚める事に…(公式サイト引用)

僕としては、一生ヽ(・ω・。)イイコイイコしてもらいたいです。



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普段は真面目で責任感のある生徒会長だけど、一度怪盗になれば、バイクを乗り回しながらメリケンサックで戦う正統派世紀末ヒロインに大変身。
バイク型のペルソナはもちろん初登場。なんで恥ずかしげもなく、こんなカッコイイ設定思いつくんだよって思いますわ。
この世に蔓延る悪を完膚なきまでに捻り潰してやるという強い意志が、彼女の姿とペルソナを作り出していると言えますね。
しかし、ただ強い(確信)という訳ではありません。彼女だって一端の高校生であって、将来への悩みや暗い所を怖がるようなか弱さを持っている。
そういうようなギャップも可愛いですね。
個人的に彼女の生き方には感情移入できる点もあって今後の成長に期待です。


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↑カットインでは虫ケラを見るような冷たい視線を見せてくれる。可愛い!

キャラ性能的には物理攻撃、魔法攻撃、回復のすべてを器用にこなすバランスタイプ。即死魔法ですぐ死ぬところも可愛いぞ!

武見紗

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エッチすぎません?(半ギレ)

場末の町医者の女医。
独特の持論から医薬品をホイホイ売るので、怪盗団にとって都合のいい薬屋。
一部の者からは、患者と向き合わない
闇医者などとも噂されているが……。(公式サイト引用)


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なんかもう反則ですよね。不健康そうな見た目で生足に白衣とか。診察室入るだけで健全な高校生なら反応してそう。
こういうような見た目だけで言わされるキャラクターはずるいですね。完全に白旗ですわ。何でこんなの思いついちゃうわけ?って首傾げながら興奮してます。
キャラの中身について話すとネタバレ多めになっちゃうので避けます。是非、プレイして確認してください。
ゲーム的には非常に強力なアイテムを売ってくれるので、積極的に仲良くなりましょう。


「新島真」でエゴサーチすると、女医も好きです!って人ばかり出てくるんで、性癖の方向性の一致を感じております。

4、ゲーム性について

ダンジョン攻略が面白い!

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今回のテーマは怪盗ですから、ダンジョンのギミックは非常に凝ったものになってます。
壁を登ったり、穴を通り抜けたり、謎解きも多く本当に飽きない作りになっている。
また、メタ〇ギアみたいに敵に見つかると警戒ゲージが上がる様な仕様もあり、まさに忍び込んでいる様な感じでダンジョンの攻略が出来る。
正直、これが何よりもこのゲームに飽きない理由の一つだと思う。
僕はダンジョン攻略がダルいタチなんですよね。敵も逃げられるなら全逃げしたくなる。ペルソナ4では、ボスの手前まで全逃してからレベリングをするというクソプレイをしていました。
しかし、今作ではガッツリダンジョンを楽しんでしまってます。通常戦闘を楽しむなんて、RPGを遊ぶには必須な事ですけど、それを自然に達成できるこのゲームはやはり面白い。
もちろん最新鋭のエフェクトやモーション、デザインなどのかっこよさが飽きさせないために一役かってるのもありますね。
とにかくプレイしてるとあっという間に時間が過ぎてしまう。そんなゲームを待ってたんです。


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以上、ペルソナ5レビューでした。
非常にオススメです。私もこんなの書いてないで、はようプレイしたい。
久しぶりにゲームの面白さを実感しました。ありがとうアトラス。ありがとうデビルマンモー。

以上、さんらいとがお送りしました。
それでは皆さんさようならー。


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憧れにも くる朝にも 近づける気がした

 
大学を卒業したあたりから、自分がいま何歳なのか、ハッキリと自覚するまでに一瞬のタイムラグが生じるようになってきた。
 
目の前を通り過ぎていく時間が速くなって、だんだんと心が追いつかなくなってきている感覚。いつの間に、こんな歳をとったんだっけ。
 
実際の年齢を告げて、周りから下に見積もられるのは、子供のころからずっと慣れっこだけど、自分自身の見積もり勘定さえ、だんだんと実年齢よりも下に、下になっている気がする。
 
そんな時、私は
 
「みなちゃんは今何歳なのだろう」
 
ということを思い出す。
 
おかしな話かもしれないけど、自分のことは一瞬「?」となっても、同世代のみなちゃんが何歳なのかを忘れることは絶対になかった。
 
いつしか私は、みなちゃんの年齢から逆算して、自分の現在地を割り出すようになっていた。
 
 
 
*********
 
 
 
本日、2016年9月17日は、みなちゃんこと、寿美菜子さん25回目の誕生日。
 
私は2月13日生まれ。みなちゃんが年齢を一つ重ねてから、それに追いつくまでに、日数にすると149日かかるので、そこから新しく年齢を重ねたみなちゃんを追いかけることになる。
 
この9月17日から始まる149日間に、私自身もようやく「次の1年」を意識するようになっていく。
 
だけど、追いかけても、追いかけても、私が時間を重ねたのと同じだけ、もしかしたらもっと速く、2秒先の世界へとみなちゃんの秒針は動いていく。
 
私もみなちゃんも、四捨五入すると、もうすぐ30の方に区分されるようになるんだなと思うと、すごく遠いところまで来た感覚を覚える。
 
なにせ、私もみなちゃんも17歳だったころから、ステージの上の彼女の姿を見つめ続けてきたのだから。
 
思えば私は、出会ったその瞬間から、決して追いつかない時間の先で、いつもみなちゃんの背中を見ていたような気がする。
 
彼女の音楽活動は、自分が過ごした時間を一分一秒たりとも逃すことなく、その瞬間に刻み付けるかのように、常に「現在」の輝きに満ち溢れている。
 
その輝きを見逃してはならないように思ったのだ。
 
あの時はまだ言葉にならなかったけれど、今なら何となく、その理由が分かる気がする。
 
 
私の先の時間で走り続けるその姿を、ずっと捉え続けていたいという強い感情。
 
追いかけても、追いかけても、私とみなちゃんの間にある149日の距離が縮まることは永遠にないのだけれど、その背中を追い続けた先にある私の現在が、これまでと確かに違うものだと分かるのは、そこでみなちゃんが輝き続けてくれているからなのだ。
 
私はみなちゃんを追いかけるこの距離が、いつだって大好きで、大切だ。
 
その意味は追い越すことではなく、追いかけ続けることの中にあるものだと気づかせてくれたのは、きっと他でもない、誰よりも美しい同い年の女の子だった。
 
今年も「25歳」に向けて、今日からまた少しずつ自覚していく。
 
自分がいる場所を見失わないように、あの子の輝きを道しるべにして。
 
寿美菜子さん、25歳のお誕生日おめでとうございます。
 

ページ設定

A5サイズ、2段組、行あたりの文字数26、段あたりの行数21、フォントサイズ9pt。余白は上22mm、下18mm、左右13mm(綴じ代+5mm)……。

「フランネル」と「パッチワーク」で採用した本文のページ設定です。ふかふか団地の各メンバーにテキスト形式で提出して貰った原稿を、プログラムによって上記設定通りのWord文書へと変換し、更にPDF文書として出力したものを入稿して出来上がったものがこれまでの既刊2誌というわけです。

こういったページ設定をどうするかというのは非常に悩ましい問題で、どのような設定にすれば見栄えがよいか、読みやすいか、調整を重ねて「これだ」と思う状態にしていくわけです。個人的にはA5サイズとしてはかなり良い感じに調整できたのではと思っています。

が、これを今後とも踏襲していくかといえばまた別で、サイズをA6にした方が良いのではないか、などといった話も出てくるわけです。はたしてどうするのが良いか……。

その上ついにAdobe Creative Cloudの契約をしてInDesign先生が使えるようになったので、今後はWordを脱却してそっちで製作するようにもなり、とすれば今度は体系の異なるInDesignでの設定調整をしていかなくてはならないわけで。

人によっては気にしないかもしれない作業ではあるけれど、紙媒体の書籍として作り上げる以上、小説それ自体はもちろんのこと、そういった体裁のクオリティにも力を注いでいきたいところですね。

忘れたことなんて無いと歌えるように笑おう -戸松遥 BEST LIVE TOUR 2016~SunQ&ホシセカイ~-

誰かの音楽やステージの何処に惹かれるのかというと、私の場合は「説得力」に他なりません。

その人が、その人として、その言葉を吐く理由。バラードを、ロックを、ポップスを、アコースティクを歌う必然性。

その人が歩んできた道筋と、音楽とがピッタリと重なり、観客席に突っ立っている私にも確かに伝わり、心が震える瞬間こそを、私はずっと追い求め続けているのだろうと思います。


本日は「LAWSON presents 戸松遥 BEST LIVE TOUR 2016~SunQ&ホシセカイ~」愛知公演2日目に参加してきました。

このライブツアーは、はるちゃんが今年6月にリリースした2枚のベストアルバムを引っ提げてのもの。はるちゃんにとって愛知は地元公演であり、ツアー折り返し地点での凱旋公演となりました。

ツアーのセットリストの中には、その公演限定の楽曲がいくつかあります。本日の限定曲は、その中でも『STAGE』『やさしき日々』『ラブ♡ローラーコースター』の3曲だったのですが、特に『STAGE』『やさしき日々』の2曲と『ドーナツ』という曲についてを書き残しておきたいと思います。

 

STAGEのこと

『STAGE』は、2ndアルバム「Sunny Side Story」の終わりから2曲目に収録されている楽曲で、はるちゃんがステージに立っている、今この瞬間について、ステージの上から「ありがとう」と繰り返す楽曲です。

これまでも大切な楽曲であったことに間違いはないのですが、この楽曲の言葉たちは、私の大好きな豊崎愛生さんのことを思い出すものでもありました。私個人としては、はるちゃんのライブについては、バラードにしても、アッパーなハイテンション曲にしても、等しく言葉を受け取る以上に、ステージに立つ姿そのものから受け取る感情に意味があると思いながら見つめ続けて来ました。

それは今も変わらないと言えば変わらないのだけど、この日の『STAGE』は言葉が感情を超えて染み込んでくる感覚がありました。はるちゃんは今日、MCの中で「声優というお仕事を初めて10年、歌手として8年が経ちました」と振り返っていました。

ステージの上に立つことは、誰にとっても等しく『選択』だと思います。忘れてしまいがちだけど、はるちゃんが今日、この日にセンチュリーホールのステージに立っていることも、決して当たり前のことではなくて、10年以上前に声優になるという選択をして、8年間歌うことを辞めず、スフィアとしてもソロとしても、ステージに立ち続けることを選択したからこそ、この瞬間があります。

 

長い長い時間を経て、はるちゃんがステージに立つ前から過ごしたこの土地に戻ってきて、自分を見守る大勢のファンの前で歌われた「ありがとう」は、これまで選んできた全ての時間、そのものに対する言葉であるように感じました。

 

 

やさしき日々のこと

そして、立て続けに歌われたのが『やさしき日々』。

イントロが流れてきた瞬間、この曲を選んできた事実に感情を揺さぶられ、同時に、今日のライブを観ることが出来てよかったなと、強く思わされました。

この曲はかつての当たり前を、愛しくもやさしい日々を、もうすぐ大人になるその直前から振り返る楽曲。ラブソングという捉え方もできるけど、今日はるちゃんが歌った「大切なひと」は、特定の想い人というよりも、これもこの場所で過ごしてきた時間に対してのように思えました。

この曲を歌っているはるちゃんは、声優でも歌手でもなく、戸松遥という一人の女の子でした。

『STAGE』で今自分がいる場所を示して、『やさしき日々』では、ある種ステージから降りた自分の姿を見せる。あの日から変わったことも、変わっていないことも両方あって、その両方を、今自分が生まれ育ったこの場所で伝えたくて、選ばれた2曲のように思えました。


少し最初に話を戻すと、歌を歌うという行為自体はそう難しいことではありません。例えば私でも(上手い下手かは置いておいて)戸松遥さんの歌を歌おうと思えば、歌うこと自体は可能です。

例えば私じゃなくて、めちゃくちゃ歌が上手いカラオケ王者決定版みたいな、歌のスペシャリストがいたとします。その人も覚えさえすれば、戸松遥さんの歌を歌うことはできます。

その人が全曲戸松遥さんの楽曲でライブをすると言って、その同日に戸松遥さんのライブがあったとして、皆さんはどちら行くでしょうか?

多分なんですけど、後者なんじゃないかと思います。

私にとっては、その理由こそがステージの上の「説得力」を見たいからであって、その人がこの曲を歌うことの必然性なんだと思います。

 

ドーナツのこと

その後、私は久しぶりに『ドーナツ』を聴きました。

戸松遥さんの全楽曲の中でも、1番に近いくらい大好きな楽曲です。だけど、イントロが流れた時に、ふと前の2曲とは全く逆で「あの時」に聴けたからこそ、意味があった楽曲だったんじゃないかなという考えが、頭をよぎりました。

あの時というのは、4年前の2ndライブツアー「Sunny Side Stage」のことで、今のはるちゃんは、明らかにもっと上手く歌を歌えるようになっています。『ドーナツ』は今から見ると粗削りで、不完全かもしれないけど、絞り出すように全力で、だからこそ痛切で、その痛みにこそ惹かれていた楽曲でもありました。

今のはるちゃんは、この曲を「上手く」歌えるようになっているのかもしれない。もちろん、それはいいことなのだけれど、今のドーナツが自分にどう響くのだろうと、楽しみにしていた分、ドキドキしながら見つめていました。

そこには、ちゃんと今の『ドーナツ』がありました。上手くもなっているのだけれど、上手いとか下手とかそういうことではない。今のはるちゃんの温度で、今のはるちゃんの心の穴を、隠さずに叫びきっていたことが、私にとっては何よりも重要なことでした。

「忘れたことなんて無いと歌えるように笑おう」

この言葉は、前よりもずっと重く、確かに自分の身に降りかかってきました。

胸に空いた穴を塞ぐ歌ではないんです。その穴が空いた心の形を、ドーナツみたいに、そうある姿として受け入れていく歌なんです。

だからはるちゃんが痛切に叫ぶのは、きっとずっと変わらない。でも私は、その穴を胸に抱いて歌っているからこそ、盛り上がる曲は心の奥底から楽しむことが出来ているようにも思うのです。

『Q&Aリサイタル』は大好きだけど、それはたぶん『ドーナツ』を知っているから。その姿を、はるちゃんが他でもないステージと歌で、私たちに明かしてくれたなんだと思います。

 


今回のベストライブは、8年歌い続けて、26歳を迎えたはるちゃんの現在地が確かに分かるものでした。

前回のツアーは、個人的にはコンセプトそのものが説得力を担っているものでした。遊園地というコンセプトを完遂するために、ひとつひとつの曲と、セットリストの必然性を汲み取って行き、遊園地というコンセプトの中で、これまで歌ってきた楽曲にも新しい意味が付随していったような感じ。

それが今回は、他でもない戸松遥さん自身が、1つのライブではとても収まりきらない曲数になった自分の楽曲たちの中から、私たちとはるちゃんが選んだ楽曲と、選ばれた意味を、これまで歩んできた道のりと一緒に、「今の戸松遥」で、一つ一つ、私たちの胸に刻んでいってくれるような感覚を覚えました。


ライブの最後は「愛知ではいつもこう言っている」と、MCで語っていたように「バイバイ」じゃなくて「またねー」と、手を振ってお別れ。

次に愛知に帰ってくるときには、きっとさらにキラキラしたはるちゃんの姿があるのだろうと想像しながら、久しぶりに感じる幸せな疲労感を噛みしめて眠ることにします。