ふかふか団地ブログ

文芸サークル『ふかふか団地』についてのお知らせや、メンバーの日記を公開していきます。

2018年11月25日(日)第二十七回文学フリマ東京に参加予定。
ふかふか団地の既刊小説誌を売っています

スピッツ『CYCLE HIT 1991-2017』を聴く その①(空も飛べるはず 1991-1997)

ブログを書かないと、他のメンバーに詰められるのでブログを書きます。

 

7月23、24日と静岡に行きました。

 

23日はスフィアのライブだったのですが、24日はアカシアさんと遊びました。

 

アカシアさんと言えば、我がふかふか団地の表紙イラストを1冊目の『フランネル』からずーっと描いて下さっていることでお馴染みですが、8月20日(日)に東京ビッグサイトにて行われるCOMITIA121にサークル星くず循環線』で参加するそうです!

 

 

ふかふか団地の『ふかふか』は、おそらくベランダで干されているお布団のことだと思うのですが、薄暗く、陰鬱とした我々が『ふかふか』になるまでには太陽が不可欠です。アカシアさんは、そんな我々ふかふか団地を『ふかふか』にしてくれる太陽のような存在なのだと感じます。だからサンフラワーというタイトル、太陽の花・ひまわりが一面に描かれた表紙は必然なのではないかと感じました。アカシアさんの「さん」は、実は「SUN」と掛かっているのです。まるでどこかの声優さんみたいですね。私はアカシアさんの宣伝をするためにブログを書くんだ!!!!!

 

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それで静岡でお会いした際に、私がアカシアさんに豊崎愛生さんの『love your Best』を、アカシアさんが私に『CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection -30th Anniversary BOX-』を贈り合う、プレゼント交換会を行いました。 

love your Best(初回生産限定盤)(DVD付)

love your Best(初回生産限定盤)(DVD付)

 

 

私にとって豊崎愛生さんが何なのかの話を始めると、また長くなってブログ完成しないので、今回は割愛させて頂きますが、以前からお話する中で「もしかしたら、好きなんじゃないかな?」と感じていたアカシアさんに、ベストアルバムがリリースされたことをきっかけにして、愛生さんの音楽に触れてもらえたら嬉しいなとお渡ししたのでした。

 

そうしたら「私にとっての豊崎愛生さんと、同じような意味を持つアーティスト」として、アカシアさんはスピッツのシングルコレクションを私に渡してくれたのです。

 

全部のことを書くと1つのブログ記事としてはハードルが上がりすぎてしまうので、アカシアさんがコミティアに出られるまでの宣伝を込めて、シングルコレクションの中から、私なりに思うところのあった曲を少しずつ日記にしていこうと思います。

 

 

空も飛べるはず(CYCLE HIT 1991-1997より)

 

夢を塗らした涙が 海原へ流れたら

ずっとそばで笑っていてほしい

 

私がこれまで、どのくらいスピッツを聴いてきたかというと、中学2年生の時、ちょうどこのシングルコレクションにも収録されている『CYCLE HIT 1991-1997』を近所のTSUTAYAでレンタルしてきて、友達にMDに焼いてもらい、聴いていたものが概ね全てです。

 

もちろん、あいのりとかハチクロとか、車のCMなんかで曲を聴く機会はあったのだけれど、スピッツの曲を聴こうと能動的に意識をして聴いた記憶は、もう10年以上前のことになります。

 

当時の私にとって「スピッツとは?」と聞かれて真っ先に思い浮かべる楽曲が『ロビンソン』『チェリー』そして『空も飛べるはず』の3曲でした。

 

『ロビンソン』は、中学生の頃、修学旅行のバスの中のカラオケコーナーで、お歌が上手な女の子が歌っていて、おおカッコいい。なんという曲なのだこれはと思わされた記憶が強いです。シングルコレクションを借りるきっかけにもなったエピソードですね。

 

『チェリー』は小学校の頃に合唱で歌った記憶があります。小学生の頃って、いわゆる合唱曲然とした曲よりも、ヒットソングが題材に選ばれるとテンションが上がりますよね。チェリーも私にとってはそういう曲で、この曲を歌うのは楽しかったという記憶があります。

 

空も飛べるはず』も、同じく合唱の記憶がある曲なのですが、これは歌ったのは私ではなく、姉の学年でした。合唱コンクールの前、自宅で無限にこの曲を口ずさむ姉の歌声が今でも焼き付いており、原曲を聴いたことがないのに知っているという状態が生まれていました。

 

初めてスピッツを聴いた中学生の頃の私にとって、この『空も飛べるはず』は、そんなに重要な意味を持つ曲では無かったように思います。

 

スピッツの中でも、特に有名な曲の一つだからこそ、10年以上の時を経て、改めて聴いたことで、歌詞が自分の真ん中に深く突き刺さってくる感覚に強く驚かされることになりました。

 

偶然にも(必然なのかもしれないけど)アカシアさんに、豊崎愛生さんのベストアルバムを渡したばかりなのですが、誤解を恐れずに言うのであれば、この曲で歌われている言葉は、ネガティブな部分もキレイな部分も全て含めて、私が豊崎愛生さんに抱いている感情そのものであるようにすら思います。

 

 

中学生の頃の私は『君』と出会えていなかったから『僕』の気持ちを想像することが出来無かったんだと思います。

 

空も飛べる”はず”というのが肝で、これは『僕』に掛かる言葉なのだと思います。「隠したナイフ」「切り札にしてた見えすいた嘘」これらは踏み出せない一歩の象徴であって「きっと今は自由に空も飛べるはず」と思いながらも、実際に飛ぶわけではない。それでも『僕』は輝くすべを求めている。

 

今の私にとって、この曲は空に焦がれながらも届かない、少し諦観を孕んだ曲のように思えます。ただ、それだけではなく、同時に『君』と出会えたこと『奇跡』として胸に留めて生きていく、前向きな想いで包み込まれているからこそ、この曲に対する強い共感があったのだとも思います。

 

改めて聴いてみると、この曲に限った話ではなく、草野さんのワードセンスの絶妙さ加減が歳をとって理解できるようになってきて、ただ好きだとか愛してるだとか、それだけには収まらない自分の中にある複雑な感情を、かなり的確に言葉にしてもらえている感覚があって、それがとても心地よかったり、逆に痛切なまでに胸に刺さったりしています。

 

中学生の頃の私は譲れないほど好きだと言える何かがなくて、作文で発表できるような夢もなくて、それがコンプレックスでもあったのですが、あれから10年という時が経って、この曲を改めてじっくりと聴く機会に巡り合えて、この曲を自分なりに噛みしめられる自分になれてよかったと、そう思ったのでした。