カツ丼こわい
カツ丼という食べ物がある。
カツ丼のことは嫌いではない。むしろ美味しいと思うのだけれど、つらい食べ物として身体に刻み込まれている。
きっかけは大学時代にさかのぼる。
一時期、おじいちゃんが尋常ではない頻度でカツ丼を夕飯に買ってきたことがあったのだ。
もちろん、悪気があってのことではない。ちょうど親が家を空けていた期間だったので、私の夕飯を心配してくれてのことだろう。
祖父母とは大学になってから同居を始めたので、多分、私の好きな食べ物などを詳しくは把握していなかったのだとも思う。そのカツ丼には、ただただ、お腹いっぱいになってほしいという想いが込められていたのだ(※状況的にボケているという説もあるが、現時点でもその辺はしっかりしている)
しかし、流石に3日目くらいから、内心うんざりしてきてしまったのも事実だった。
それでも好意で買ってきてくれたのだから、全て食べなければ申し訳が立たない。ご飯は残さず食べよと私は教えられてきた。
海苔を増やしてみる、にんにくをすりおろしてみる、カツをコーラで煮てみる(※信じられないがこういう調理法が本当にある)など、苦心してアレンジを加えたが、5日目であえなく限界を迎え「夕飯は自分たちで用意するので買ってこなくていいよ……」とおじいちゃんに伝えたのであった。
仲が悪いわけではなかったけれど、生活時間が噛み合わないこともあって、正直、これまではあまりおじいちゃんと話をしてこなかった。会話が足りなかったのだと感じる。自分を理解してほしい時、自分もまた相手を理解しなくてはならないのだ。
コミュニケーションの重要性を身を以て思い知る代償として、それ以来、カツ丼をみると胸やけがするようになってしまった。
最初の一口は美味しい。しかし、6割くらいからつらさが美味しさを上回ってくる。ミニサイズでいい。常にミニサイズでいいのだ。カツ丼は。そんなにはいらない。そんなにはいらないのだ。
なぜ急にカツ丼のことを書き出したかというと、0時を回り、日付が変わった直後に、帰りが遅くなった母がお詫びとばかりにカツ丼を買ってきたからだった。
それも、きっとお腹を空かせて待っているだろうという母の親心に他ならない。私はおじいちゃんが大好きだし、母のことも勿論大好きだ。
だから一口目は美味しく、6割くらいからつらくなりながらも、私は深夜0時半にカツ丼を完食するのだった。